孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「浦島太郎の玉手箱」と「お殿様にサンマを焼かしたら上手に焼く」その事実を知る。

2010年12月01日 | Weblog
地球時間の一日24時間は誰も同じです。
ところが人それぞれによって同じ時間が短く感じたり長く感じたりするように時間感覚が違っています。
暇で退屈している時間が多いと一日が長く感じますが、刺激に満ちていればあっという間に一日が終わります。
また苦悩に満ちていればその時間が長く感じますが、至福に満ちていれば時間が気になりませんから時が経っていることを感じず意識にありません。 

まさにおとぎ話の「浦島太郎・竜宮城」ですが、その至福が消えて時間に戻れば時が過ぎていた事に気付きます。
それでもそのままにして至福を味わった思いのままにいれば何の問題も起きません。
ところがそれだけでは「満足」できなければ何か<欲>しがりますから、そこで元の時間で生きる人間に戻ります。
すなわち乙姫様から頂いた「玉手箱」が気になって、決して開けてはなりませんと言われていたのに、何が入っているのだろうと欲を出して玉手箱を開けたとたん白髪のおじいさんになるようにです。

ことの成り行きから亀を助けることになったことが必然・ご縁のお仕組みとなって思いもよらない至福を味わうことが出来たのに、それに満足できずに次の満足を欲しがったことから、これまでの至福が一時の自己満足に変わり、しかも一気に時間が経過してあっという間に白髪頭の老人になったのです。
それでも浦島太郎は一度は至福の時を味わったからいいものの、その至福さえ味わえないで年老いて死に至る人が殆どです。

この浦島太郎の事例を耕栄さんが言っていたのにあるのが「時間の良いとこ取り」によるその裏の弊害副作用(浦島太郎もどき現象)が必ず起こる事を説明していました。
それによると、時間をかけてゆっくりとしていた時代から次第に変化して、今や時間短縮の良いとこ取り製品や商品が満ち溢れ、高速で駆け走る乗り物や高速燃料・核反応エネルギーの利用、そして危惧していたのが「光速」エネルギーを得る科学実験がスイスで成されていることを例えていました。
それに私が付け加えるならば、時計などのモノクロからデジタル化へ移行したように今の地上デジタル・光通信があります。

表があれば裏があるのがこの世ですから「時間の良いとこ取り」だけではありません。
自己満足したがる欲から次ぎから次と絶え間なく探し求めて手に入れる事を意識して行動していますから、先々を意識しての「時間の先取り」をしていますから、その時間感覚が相当短くなります。
だから(ひとつしかない意識ですから)意識的に時間のゆとりが無くてそれ以外の事を意識する余裕も暇も無く、その目先のことばかりに意識が集中していますから、それ以外に起きている多くの事を見逃していることにも気付きません。
また忙しさのあまり他の事(生産性の低い事柄など)に時間を掛ける余裕もあまりありません。
・・・だから虐められている亀にも気付かなかったり、気付いても口出し手出しすること・関わる事を逃げて通ります。

そんなことから人間関係の様々なことで見えない注意信号・イエローカードが掲示されていることにも気付かないで後で後悔することになるのも多いはずです。 また見えない特典・チャンス・ご縁・お仕組みを見逃していることも多いはずです。
だから真理で言われている「与えられまで待つ」その結果を実感を味わったことがなかったり、またあったとしてもそれが偶然とか奇遇とか奇跡のように思い違いしていますから、与えられるまで待つことに自信・悟り・英知になることはまずありません。

私の小さな事例で言うと・・・出掛ける時に僅かな忘れ物に気付いたことで家に後戻りすると、その忘れ物以外にもっと大切なものを忘れている事に気付いたり、ガスコンロが空焚きになっている事に気付いたり、重要な電話が掛かってきたりすることもあるのです。
だから忘れ物でなくても途中で何か気が付けば(いつも時間に余裕がありますから)急ぐようなことでなくても面倒がらずにそれを実行する事にしています。
そのことでもしかしたら、この先で起こる有事・事故に至ることが寸分の違いで避けられていた可能性は十分にあります。
だから形で見える結果が出なくても(ファバラも同じですが)前もって「守られて」いた可能性があると思っています。
・・・そう思えるのも・・・これまで大なり小なり必然・ご縁・お仕組みが数々起きた事実があるし、大事になるはずが小事で済んだ事も数々あるし、ご縁・必然から行く事になった見知らぬ都会や田舎で地図・時刻表・時計・携帯電話が無くても、道先案内されたようにスムーズに往来できることも有ったことからも、いつも必然・ご縁・お仕組みによって私は「守られている」「導かれている」という確信自覚があるからです。

そして完全真理によって(不完全意識の者が何を成そうが)この世の全てが不完全だとわかっただけに、その不完全な形・人間関係に関わることで己の意識が巻き込まれることが無くなり、また万事物事に執着しないようになりましたから、身近な人間関係や世間的な関心ごとがどんどん減って暇で退屈している時間が多くなったことから、日々生きるための必然で成すことにも時間のゆとりが出来て急ぐこともありませんから、その分だけゆっくりとした感覚で物事をより深く味わうことも出来ますし、それがまた新たな気付きにつながっていることから、いつも急がず騒がず気楽に落ち着いてやっています。
例えば「ことわざ」に有る・・・お殿様にサンマを焼かしたら上手に焼く・・・そんな感じの毎日です。