孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

どうしようも無いこの世と、どうすることも出来ない人間意識。

2012年11月15日 | Weblog
思いつくままにブログを書いてきましたが、結論から言えばタイトルのようになります。
何たってすべての人の中に天使と悪魔がいるからです。
そして過去の史実からしても、また現在を見ても、その矛盾に溢れています。

その史実の中に精神世界を説く宗教の過ちが世界中に大きく影を残して現在にまで至っているその事実があります。
すなわち天使でもあったがその裏の悪魔の役割もキッチリと残していたのが見て取れます。

だから良いことをするつもりで成したことが事が進むにつれそれが侵略になり神と神が闘う事になりその人間同士が殺しあう結果になったことが史実にすべて残っています。

だから良いことをする始まりがその良いことだけではなくして、それ以上に悪い結果・悲惨・悲劇を残してきた事実があります。
それが精神世界に限らずとも医科学や政治経済や教育指導にもありますから、結果的には今や自然環境も人間関係も破局の一歩手前まできていますから、皆が皆善人でもあるが裏では悪にも成りえるその両方の役目を果たしてきたのです。


すなわち人間の矛盾意識に仕組まれている通りのことがこの人間界で成るようになってきたわけですから、その役割を果たしたその結果を踏まえて次なる進化に進む道を見い出すその<使命>があるということです。

だから良いと思ってやってきた自己拡大の結果が現在である事とその反対の自己縮小をして味わったその結果からして、その自己拡大の苦楽・喜怒哀楽で生きるよりも自己縮小で生きるほうが無理や執着が無くて素朴で平穏な中にも自力を多く使うことからして、その当たり前に生きている正味・味わいが深くなることを知ることになるわけです。


しかも先程に書いたように、この世で神や愛を説くすべての精神世界の形の中にも不完全さが潜んでいて、それに気付かずに多くの人が惑わされ続けたことも知る事になります。

特に宗教に期待するところがあったことや摩訶不思議を成してみせる超能力者に期待するところがあったのもまやかし(錯覚勘違い)であって、それらに係わっている者たちも同じ未熟な不完全意識を持っていて、この世でその学びの途中であることは皆と同じなのです。


と言うことでその結論を言えば、この世の形やその人間関係は「どうしようも無く」「どうすることも出来ない」不完全意識の集まりなのです。

だから不完全意識が原因のその結果も同じですから、今もその不完全が出続けているわけです。

そこでその不完全意識を持ったままに人間を終える時が(誰にも)(やがて)来ますから、
その人間を終えるまでにこの世の裏表の矛盾を多く学び知り、併せて完全真理が説くところの宇宙・神・愛の完全を学び知り、尚且つ「あるがまま」の自然体で生きる実践をし続ける必要があるのです。

だから皆が不完全意識だけに良い悪いで判断することがあっても仕方が無いことですが、それに執着しなければ無理することも欲張ることも無くなりその苦楽を味わうことも減っていきますから、自ずと自己縮小に進んで行きます。

その人間を終えて新たなる始まりとなる高次元の意識を持つ人間として生まれ変われる可能性のある人は多くは無いと思います。
そして近代的な日本人よりも、過去世の学びからして自然界の中で穏やかな生活を続けている素朴な民族が選ばれる可能性が高いと私は思っています。
また先進国家であっても、その都会の片隅でひっそりと穏やかに暮らしている人が選ばれるかもしれません。

しかしこれ等のことは信じるか否かになりますが、金銭物質の経済優先や医科学に頼る人や宗教の特別な神に頼る人や奇跡に期待する、そんな他力依存や他力願望の自力と自信の無い人は先ず失格です、と過去にご縁があった霊能者の「お伝え」にありましたし、私自身も確信でもって書いています。

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