孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

すべてに命・意識がありその姿形は表現体です

2008年05月10日 | Weblog
すべてはひとつで、すべてに命・意識がありその姿形は表現体です。
すなわち見えない命・意識の仮の姿が見える万物の姿形となっているのです。

例えばガラスが無ければガラスコップが形作れないように、ガラスが原因(命・意識)でコップは結果(仮の姿・表現体)なのです。

また宇宙万物「すべてはひとつ」ですから、実在するもののすべてが命・意識なのです。

命・意識は全知全能(エネルギー)がありますから、人が生きていくためにも必要なものが必然で生まれ作られています。 
しかも人は進化する必要があるから、昔と今とでは必要とするものの形内容が違っているし、次なる新たなものも必要になります。

例えば火を燃やす燃料が草木などの植物から石炭石油などの資源になり核燃料へと進化しているように、平行して衣食住も進化して当たり前なのかもしれません。

しかし多くの人が気付いていないのは、あまりにも急ぎすぎた、早く求め過ぎた、欲張りすぎた、使い過ぎた、等とその時々の人間の意識が原因で様々な問題が末期的状態で表面化しているのです。

例えば、生きるために一番大切な水や空気の汚れは、人間の意識の汚れが水や空気の意識に伝達記憶転写されて反映され、
それが鏡(作用)となって映し出されているとも言えるのです。

すなわち人間の汚れた意識を水や空気が人間に見えるように表現して見せて教えてくれているとも言えるのです。

だから空気や水に限らず人間の意識の有り様があらゆるものに反映されているのです。
だから偶然や奇蹟ではないのです、すべて必然で起きていることなのです。 

天変地異・自然災害や人身災害・事件事故・病気などや倒産リストラも、生まれ死ぬことも、人殺し戦争もテロも、すべての事があらゆる意識が絡み合って現れた結果だから偶然ではないのです。

その点で言えば世界中のニュース報道は人間の意識・集合意識を忠実に表現してくれているのです。

その原因と結果は意識にあるのです。

ちなみに欲し求め過ぎた、待てずに早く欲しがった、強欲になったことで自然界も人間界も変になってしまったのです。 

必要以上を望めば必要以上にエネルギーを消費します。

それが天然資源や動植物の命・意識エネルギーの犠牲を必要としたり、
原因である人間(肉体・精神体・感情体)の意識エネルギーの使い過ぎになるのです。

だから自然災害・人的災害災難の有事に遭遇するのも、ノイローゼ・うつ等の精神病になるのも、自分が困った事に陥るのも、成るようになるのも、すべて意識が原因の必然・結果の現れです。

満足を知るものと満足を知らないものとは大きな違いが結果に出ていますし、此れからも更に違いが拡大していきます。 

また矛盾の中の中途半端な妥協で我慢している自己満足や、矛盾があるのに言い訳正当化して「私は正しい」と自己主張・自己顕示して生きているものには思いやり優しさの感謝が有りません。 

その矛盾が有る中途半端な意識とは違う「あるがまま」の普通意識になるには「良い悪い」の分離意識を無くして不平不満を持たないようにすることです。

また努力し頑張りして求め過ぎる、また持ったものを守り過ぎる、その過ぎた意識が自己満足・偽善の結果になります。

ところがその人にとって相応しものであれば・成り行き任せの必然ご縁で必要とするものが必ず得られますから、急ぎあわてずに時を待つことも大切です。 

また待って得たものには喜びと感謝の心があるはずです。 

単なる自己満足で終わるのか、ありがたい感謝の心になるのか、そこに意識の違いがあります。

(2008・05・10投稿リメイク版)

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