孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

過疎地暮らしの水源が枯れたことで困ることよりも、新たな楽しみ喜びが出来ました。

2012年12月14日 | Weblog
欲張る人ほど不平不満が多いのは事実です。
また不平不満の多い人ほど自力が少なく、また不精からして自力を使わないでおいて、その代わりに他力を多く使いたがるところがあります。
また自力が多くあっても、先行き目先の忙しさからして他力に任せて頼るところがあります。

反対に不平不満の少ない人は欲張りません。
またその分だけ自力を多く使って事を成します。
また先行き目先のことよりも、今やるべきことに自力を使って「今を生きる」ことになります。

すなわち目先のことやその思い思惑やその期待をすることなく、今現在の必然ご縁からして自らが動きます。
そして欲張りませんから、自力を超える事に手出ししません。
だから心身ともに疲れたりしません。


ところで私は水道が無い過疎地で暮らしていますから、山の中のわずかな湧き水が枯れると生活に大きな支障があります。
ところがその水源が最近になって枯れてしまいました。

だから炊事洗濯お風呂がダメになりました。
そうなると過疎地暮らしを続ける事に無理があって当然ですが、
幸いにも今年の春に牛舎のオーナーが全自動洗濯機を私のために設置してくれていたのを使っていたので洗濯&乾燥には問題がありません。

またお風呂ですが、牛舎からほんの少し離れたところに吉野川ハイウエイオアシス(インターチェンジ)の施設の中に深層地下水を汲み上げて沸かしている大型温泉がありますから仕事帰りに入浴しています。
その入浴料が一回ごとに600円ですが、それを一年間(約13ヶ月)フリーパスにすると5万円ですから、朝の仕事帰りと夕方の仕事帰りの二度も入浴しています。
しかも牛舎のオーナーが親切にも半額負担してくれています。

そして食事&惣菜は主にスーパーの半額商品(パック製品)ですから殆ど洗い物は少ないし、飲料水は宇宙エネルギー浄水器の水を持ち帰ることができますし、
食器類の洗い物は牛舎の水道水をポリタンクに半分ほど入れて持ち帰るのでそんなに不自由しません。


本来なら水は生活の根幹ですから、その水に不自由するとなると不平不満・不安心配になるのが当たり前ですが、
(必然ご縁の成り行き任せの私に突然仕組まれて)水に不自由することになって生活が少し不便になることよりも、それ以上にそれが新たな変化刺激となりますし、そのお陰で暇で退屈する時間帯も減り、しかも一日二回の入浴三昧で清々しい思いのままに日々生活できることを大いに喜びそして楽しんでいます。

とにかくもオーナーの親切によって全自動洗濯機が既に用意されていたこと、
しかもお風呂屋さんが無くなっている現在なのに仕事場の直ぐ近くにレジャー施設の大型温泉があって格安に使用できるのですから、
しかも(高価な)ファバラ・エネルギーを愛用しなくなっていた私に(以前通りの格安な)宇宙エネルギーの水を意識し直す事にもなったのですから、
私にすれば「仕組まれた」ことになるのです。
しかも普段なら過疎地暮らしをやめなければならない状況なのに喜び楽しみが増えたのですから有難いことです。

ところがもし私が他力依存が多くて、その自力も自信も少なく、その不平不満や否定反発することが多ければ、牛舎のパートや親切なオーナーとのご縁も無かったしその収入も無いままの当初の暮らしが続いていたのならば、その水が使えなくなる仕組みによって今の過疎地暮らしを過不足なく続けることが状況環境金銭的にも相当難しくなるはずです。

またそれが目先のことやその思い思惑や期待でもって与えられるのとはぜんぜん違っていて、自然体の成り行き任せから成る様になってそれが「思わぬ」楽しみ喜びにつながったのです。

そして思い思惑やその期待からして得たものは一時の自己満足で終わってしまうが、自然体で仕組まれ得られたものは(必然ご縁からして)心を満たす満足につながるのです。

だからこの先々に枯れた水源に再び水が来ることを待ちながらも、今の水不足生活を此れ幸いにして楽しんで喜んでいるのですから、何の不平不満も不安心配もなく暮らせるのです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。