孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人の不幸が自分の幸せになる臓器移植や脳死判定

2009年02月25日 | Weblog
私たち人間は「良い悪い」で判断して比較し競争していますから、自分に都合がいい「良いとこ取り」をするが、劣ることや損することなどの悪いところは除けたがります。
そしていつも良い悪いで比較競争していますから、その競争に勝つことで自分の幸せをつかむが、負けると自分が不幸になるという、勝ちと負け、幸と不幸、優と劣、損と得の、良いと悪いの裏表の矛盾で生きています。
すなわち、人の幸せが自分の不幸になり、人の不幸が自分の幸せになるのです。

その最たる典型的な事と言えば、臓器移植・脳死移植があります。
移植を受ける側にすれば、人が死ぬ事を待ち望んでいる形になります。
我が子や自分が助かるのなら、人のものを奪うことになっても欲しがるのです。

その脳死移植に反対する人より賛成する人が多くなって脳死移植ができるようになりましたが、人間の肉体の死を待ちきれずに移植の為に脳死を「死」としているのですから、人を助けるためなら死にかけた人の息を止めても許されるのです。
だから、脳死移植となれば人を殺してまで略奪していることになります。

手術に輸血はあたり前の時代ですが、その輸血を禁じる宗教があるのもうなずけます。
皮膚の移植にも他人の皮膚や死人から提供された皮膚が使われています。
最近では抜歯された「歯」を移植できるようです。
すなわち、自分が失ったものや自分に不足しているものを他から「良いとこ取り」して自分のものにしている、過ぎた欲の現れになります。

しかし臓器提供や移植手術が良いとか悪いとか書いていません。
助かりたい患者の思惑や医術の進歩を目指す医者にもある、自己中心に考える「自分さえ良ければ」の個人意識があることや、自分に起きた有事でいざとなれば(自分勝手に都合がいいように言い訳正当化しながらでも)他のものを自分のものにする略奪が行われていることを書いています。

そして、輸血や移植手術を望んで受ける人には「自分さえ良ければ」の強すぎる個人意識を持っていますから、その分以上に命の感謝・アリガタイが無ければ絶対に成仏できないと言われています。 
生身の肉体に執着しすぎて原因体である意識・命を忘れているから、その自分(肉体)を守りたがる、その過ぎた守り意識があるから、他から(肉体)奪うことができるのです。
同じ様に、自殺者も自分を守る意識が強すぎて、その自分を守れなかった弱さを悲観して(劣等感)自殺を選ぶのかも知れませんが、決して成仏はできません。
また、増加傾向にある痴呆症やうつや引きこもりや自閉症やノイローゼなどの精神疾患も、自分を守ることになる「私は正しい」が強く出ている性かも知れません。 だから、訳も無く腹が立って家庭内暴力や無差別攻撃型の行動に及ぶこともあります。

ところで「成仏」するには・・・我神なり、我愛なりの「即身成仏」は無理でも・・・
死ぬことに良いも悪いも無いから、その死んでいく事実だけを意識で見ることです。
すなわち、肉体が死んでも原因体の意識・命は永遠に続くから・・・ 天国でも地獄でもない「自分の意識」に似合う居場所に行くことから・・・ 死に直面していてもあまり動揺しないで素直・自然体で受け入れる・・・ すなわち死に不安や恐れを持たない、未練を持たないで過去の執着を忘れる・・・ そして、まだ未熟で「自分さえ良かったら」の個人意識が残っていても・・・ 「良い悪い」を持たない完全真理を理解力で確立・自信・自覚できているその意識力次第では(万に一つの可能性かもしれないが)、良い悪いのない意識の世界へ行くことになるかも知れません。


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