此れではダメだの<不満>と何とかしなければの<欲>からして次の時代が始まり終わる・その繰り返しからして時代が進化発展してきましたが…?
本来ならば人間は食って寝て糞をしながら生きているだけで十分なのです。
だからそれ以外の物や形は余計なことであり無用なのです。
ちなみに一番長く続いた縄文時代は食って寝て糞をしながら何とか生きていくことだけで十分だったのです。
ところが此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして弥生時代となりましたが…
その弥生時代になればなったで食って寝て糞をしながら何とか生きているだけで十分な時代は同じですが…
これまた此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして新たな時代に変わり…
また此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして次の時代が始まり終わるその繰り返しからして次々と時代が進化発展してきました。
そして戦国時代が終わり天下泰平の徳川時代が長く続きましたが…
これまた此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして明治維新となり、それが軍国主義の時代ともなり世界大戦ともなり、その敗戦を経て現在となりスイッチポンの快適便利な時代ともなりました。
そんな経緯を振り返り省みれば分かるように…いつの時代も何とか生きることが出来ていたのですが…此れではダメだの一揆や乱や維新革命やら侵略戦争やらでもって時代が進化発展してきた事実があります。
更に深く省みれば…
生きてさえ良かった縄文時代を滅ぼした弥生時代も滅びました。
と言うことは…弥生時代も余計なことをしただけで無用となり、その後の時代も同じく元からして余計なこと無駄なことをしただけになります。
それを言い換えると…現在も余計なことをしている無駄な時代となります。
となれば…縄文時代のままでも基本的には問題なかったことになります。
…素直に理解できましたか?…
そこで不変なのが…何とか生きてさえいれば何とか成っていくことなのです。
すなわち…俗に言う神から生まれた神の子≒宇宙生命体の人間として・食って寝て糞をしながら宇宙の流れに従っているだけで十分なのです。
然るに天地創造の完全なる宇宙・神・愛の仕組みに任せて、
ちなみに縄文杉が如くの不動の精神≒成り行き任せの自然体でもって生きていればそれでいいのです。
なのに…生きていくために必要としない人為人工的な諸々がわんさか出回ることになるが…それらもやがて不要となり(余計なことで無駄なことになり)見捨てられてゴミの山となり・自然界に悪さをしています。
然るに数に限りがある有限の世界でもって欲張り余計なことや無駄なことをしている結果からして自然界が破壊され汚染され、しかも産業廃棄物や核廃棄物がどんどん増えて更に環境を悪化させています。
ちなみに欲張ったことで幸せになれるのならまだしも…不満と欲と矛盾とその差別意識からして人間同士が差別し合い争い戦い殺し合う地獄のような間違い狂った人間界となっています。
そして原因と結果は同じだから・大も小も同じだから…会社や地域社会や一般家庭の中も同じです。
しかも逃げ場が無いほどですから身近な趣味嗜好娯楽の仲間となって逃避するのが精一杯かもしれません。
ところがそれさえも(原因と結果は同じだから)比較競争し合い差別し合い時にはそれがやきもち嫉妬や憎しみともなり、さらに感情が高まれば他者破壊の殺傷事件やら自己破壊の自殺にもなります。
だから戦場でもって敵を狙って殺すことができるのも・敵に向かって自爆できるのも・その原因は感情の高まりがあったからこそなのです。
…平常心・普通意識・自然体で出来ることではないのです…
だから感情体は厄介な代物なのです…
無ければ無かったで事無くなるのです。
だから感情体が原因で始まった事の結果も無と化すのです。
だから優しさ思いやりの人情愛情やら好き嫌いの恋愛感情も結果的には余計なことで無駄なことにもなっている・無と化す事実があります。
だから感情体で生きることよりも…食って寝て糞をしながら生きているだけで十分となる意識に変わらなければ…何をやっても無駄で余計なことになったりまたゴミの山ともなるのです。
そして…全ての原因が不満から始まっているのですから、その不満が出てこないような生き方に変えない限り延々と繰り返し続くのです。
なのにまだ欲張り続けますか?と問い掛け続けているのがこのブログなのです。
しっかり読んでしっかり自問自答すれば理解し納得できる内容で…
しかも信じるか否かのない事実を根掘り葉織書いていますから…
自信確信の精神力にもなります。
本来ならば人間は食って寝て糞をしながら生きているだけで十分なのです。
だからそれ以外の物や形は余計なことであり無用なのです。
ちなみに一番長く続いた縄文時代は食って寝て糞をしながら何とか生きていくことだけで十分だったのです。
ところが此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして弥生時代となりましたが…
その弥生時代になればなったで食って寝て糞をしながら何とか生きているだけで十分な時代は同じですが…
これまた此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして新たな時代に変わり…
また此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして次の時代が始まり終わるその繰り返しからして次々と時代が進化発展してきました。
そして戦国時代が終わり天下泰平の徳川時代が長く続きましたが…
これまた此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして明治維新となり、それが軍国主義の時代ともなり世界大戦ともなり、その敗戦を経て現在となりスイッチポンの快適便利な時代ともなりました。
そんな経緯を振り返り省みれば分かるように…いつの時代も何とか生きることが出来ていたのですが…此れではダメだの一揆や乱や維新革命やら侵略戦争やらでもって時代が進化発展してきた事実があります。
更に深く省みれば…
生きてさえ良かった縄文時代を滅ぼした弥生時代も滅びました。
と言うことは…弥生時代も余計なことをしただけで無用となり、その後の時代も同じく元からして余計なこと無駄なことをしただけになります。
それを言い換えると…現在も余計なことをしている無駄な時代となります。
となれば…縄文時代のままでも基本的には問題なかったことになります。
…素直に理解できましたか?…
そこで不変なのが…何とか生きてさえいれば何とか成っていくことなのです。
すなわち…俗に言う神から生まれた神の子≒宇宙生命体の人間として・食って寝て糞をしながら宇宙の流れに従っているだけで十分なのです。
然るに天地創造の完全なる宇宙・神・愛の仕組みに任せて、
ちなみに縄文杉が如くの不動の精神≒成り行き任せの自然体でもって生きていればそれでいいのです。
なのに…生きていくために必要としない人為人工的な諸々がわんさか出回ることになるが…それらもやがて不要となり(余計なことで無駄なことになり)見捨てられてゴミの山となり・自然界に悪さをしています。
然るに数に限りがある有限の世界でもって欲張り余計なことや無駄なことをしている結果からして自然界が破壊され汚染され、しかも産業廃棄物や核廃棄物がどんどん増えて更に環境を悪化させています。
ちなみに欲張ったことで幸せになれるのならまだしも…不満と欲と矛盾とその差別意識からして人間同士が差別し合い争い戦い殺し合う地獄のような間違い狂った人間界となっています。
そして原因と結果は同じだから・大も小も同じだから…会社や地域社会や一般家庭の中も同じです。
しかも逃げ場が無いほどですから身近な趣味嗜好娯楽の仲間となって逃避するのが精一杯かもしれません。
ところがそれさえも(原因と結果は同じだから)比較競争し合い差別し合い時にはそれがやきもち嫉妬や憎しみともなり、さらに感情が高まれば他者破壊の殺傷事件やら自己破壊の自殺にもなります。
だから戦場でもって敵を狙って殺すことができるのも・敵に向かって自爆できるのも・その原因は感情の高まりがあったからこそなのです。
…平常心・普通意識・自然体で出来ることではないのです…
だから感情体は厄介な代物なのです…
無ければ無かったで事無くなるのです。
だから感情体が原因で始まった事の結果も無と化すのです。
だから優しさ思いやりの人情愛情やら好き嫌いの恋愛感情も結果的には余計なことで無駄なことにもなっている・無と化す事実があります。
だから感情体で生きることよりも…食って寝て糞をしながら生きているだけで十分となる意識に変わらなければ…何をやっても無駄で余計なことになったりまたゴミの山ともなるのです。
そして…全ての原因が不満から始まっているのですから、その不満が出てこないような生き方に変えない限り延々と繰り返し続くのです。
なのにまだ欲張り続けますか?と問い掛け続けているのがこのブログなのです。
しっかり読んでしっかり自問自答すれば理解し納得できる内容で…
しかも信じるか否かのない事実を根掘り葉織書いていますから…
自信確信の精神力にもなります。