孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

重たい荷物を背負ってハルマゲドンに突き進んでいたのが身軽なアセンションの流れに乗ることになるブログです。

2020年12月12日 | Weblog
常識離れした・逆も真なりのこの世に稀なるブログの一部を抜粋し簡単に要約し紹介しますと…

人間は良い悪い・善悪優劣損得の矛盾でもって比較判断し差別し合っていることからして…この世人間界は間違い狂っているとしています。

しかも輪を掛けたようにして此れではダメだの不満と何とかしなければの欲から事を成していますから、その原因意識とその結果が同一なことからしても…同じ不満と欲と矛盾とその差別意識でもって間違い狂っている結果が出て当然となります。

この原理原則を知ってか知らぬか…皆して欲張っているのが現在であり・その同じ結果を繰り返しながら人類終末のハルマゲドンに突き進んでいます。

また過去の歴史を顧みても同じく…不満と欲と矛盾とその差別意識からして事が成され、同じように間違い狂った時代が延々と続き、現在に至っています。

そこで過去で有名になった諸々諸氏をボロカスに書くことにもなっていますが…
頑張り欲張り見栄張りしてきたことからして有名になったのは事実です。

然るに矛盾意識・差別意識を持っていながら「私は正しい」の正義感や完璧主義や潔癖症からして事を成してきたその過ち偽善が隠れています。

そして結果的に世間の常識や道徳や冠婚葬祭を含めた伝統風習が正しいとして守り引き継がれてきた事実があります。

そこでブログでもって間違い狂っている事実を信じるか否かの矛盾もなく根掘り葉掘り書き続けているのですが…どうやら世間的ではないから「変人の類」に思われているところが多々あるようです。

ところがそんな中にも…意識が原因の結果からして…選ばれし者が如くにブログに来られ理解し納得された方々がおられます。

ちなみに見えない世界・精神世界を書き始めて20年近くなりますが…身近な人間関係の中で未だにブログの読者になった人はいません。

と言うことからして…不特定多数を相手にする情報交換システムやホームページやブログ等に20年前から先駆け関わっていたのも…私の先駆け先取り意識が原因からして…宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁からして(前もって)仕組まれた結果と確信している次第です。

だから俗世間に染まった人たちがブログに来られることは先ずありませんが…
しかし持ち前の意識や潜在意識が原因からして仕組まれて来られる人が一気に増える可能性はあります。

然るにそれが常識が伝わり広まるように…意識の世界の成せる術であり…アセンションが近づいていることもありますから…一気に目覚める人も多くなっていくことでしょう。

だから俗世間に染まらずにして…精神世界を意識し続ける必要性があるのです。

またそれが本来の人間性を取り戻すチャンスでもあります。

となれば…不満と欲と矛盾とその差別意識から離れた調和意識でもって先駆け独り歩きが出来ることにもなります。

然るに重たい荷物を背負ってハルマゲドンに突き進んでいたのが身軽なアセンションの流れに乗ることになり自らの心身を救い助かることになるのです。

何はともあれ…精神世界をお留守にしたような生き様と精神世界を真剣に意識していることの是非を常識的に判断してもわかることです。

然るに貴方様はどう判断し・思い意識して生きていきますか?と問い掛けているブログでもあります。

孤独は普通で当たり前だが、孤独感となれば精神疾患も同然となります。

2020年12月12日 | Weblog
人間は生まれながらにして孤独と言われています。

何故なら人それぞれに性格個性や感性知性が異なっているし、思い思惑やら理想目的や期待願望からしても様々に異なっているからです。

ちなみに同じ欲からして・同じ思いになることがあっても、調和でもって同じ思いになることはありません。

しかも生まれながらの本能に自分さえ良ければの自己中心の個人意識を持って生まれているからには絶対的に調和の人間関係にはなりません。

然るに同じ屋根の下で暮らしていても・血縁関係でも・赤の他人同士が集まっているが如くになるのです。

だから否定反発し合ったり束縛制限し合いながらも一同に集まって暮らしている事実があります。

しかもそれは己の欲が絡んでのことだけに・強いものが勝ち弱い者が負ける道理があります。
ちなみに親が(親分が)子供に(子分に)何かと押し付けている事実があります。
だから現実に強いものが弱いものを支配する関係にもなっています。

ちなみに欲が無ければ何某の人間関係も必要無くなります。
それを言い換えると…欲があるからその人間関係が続いているのです。

また人間は良い悪い・善悪優劣損得の矛盾意識でもって生きていますから・皆して比較し差別し合う関係にもなっていますから…当然ながら孤独でもって生きることにもなっているのです。

また不満と欲と矛盾と差別で生きることが当たり前になっていれば…
愚かな人生となって当然のことなのです。

何はともあれ…孤独を大いに味わえばいいのに…それが孤独感にもなりやすことからして…孤独を好きになれないようです。
だから孤独を否定的に捉えている人が多いのです。

とにかく精神的には孤独なのだが…
大勢の人が集まり共に動いていますから…
また趣味嗜好娯楽でもって集まることもあるから…
また恋愛やらセックス関係がありますから…
また血縁関係の絆や柵で何かとつながっていますから…
孤独であっても、孤独が苦手だから、内心では孤独だと思いたくないのです。
…偽り偽善でもって生きていることにもなります…

また孤独からして寂しいだの虚しいとなれば・そこで「孤独感」になります。

そしてその孤独感を…変化刺激のある趣味嗜好娯楽でもって共に過ごすことで癒されていると思っていますが、
しかしそれも比較競争し差別し合っていますから・癒されるどころか精神的な負担になって・ストレスとなっています。

また同じ屋根の下で共に暮らしていても精神的には孤独だけに内心では孤独感にもなりますから、家族団らん・夫婦円満・セックス円満・親子円満を装うこと・見せ掛けること・思い込むこと・自己陶酔や自己洗脳でもって紛らしたり、
時には気が狂う・気が紛れるアルコールの力を借りる時もあります。
だから飲酒の機会が多いことにもなっています。

しかも嘘偽りが絡んだ偽善なのに・偽善とは思えないで…
逆に自惚れ慢心から私は正しいと思い込み・主張し・自慢し・宣伝したがります。

ちなみに私は世間や家族から離れて孤独の自由を味わっていますから…
また自力と自信の精神力と創意工夫と思うがままの独自独歩に生きていますから…
孤独が孤独感とはなりません。

だから巷の趣味嗜好娯楽なども必要としていません。
…テレビ・ラジオや音楽などを雑音騒音としていますしお酒は飲めません…
また欲が渦巻く人の集まりや会食などに参加しません。
…喫茶店や飲み屋やレストランとは無縁となっています…

言い換えれば…それら人為人工的な諸々に惑わされない自信と自力と精神力を持っていることになります。

然るに…孤独が好きで愛しているとも言えます…
だから孤独感とも無縁なのです。

お陰で諸々の人間関係でもって理不尽な思いをしなくなりました。
…互いの感謝と納得の人間関係に限られています…
然るに共に感謝のない人間関係は成立しません。

だから…不満と欲と矛盾とその差別でもって間違い狂っている人間関係から離れ卒業したことになります。