私は昭和16年生まれで戦中でした。
ちなみに昭和初期まで大八車と言われる木製の荷車を人力で引いて荷物を運んでいましたが、私が幼少の頃は人力ではなく馬が引く荷馬車が町中を通っているのが当たり前でした。
また子供は裸足で遊んでいましたが学校に行く時にワラ草履をはいていくようになりやがて運動靴になりましたが、その運動靴さえもなかなか買ってもらえませんでした。
また井戸がない家庭は川で洗濯するのが当たり前でしたし、レンガくらいの固形石鹸を手ごろな大きさに切ってごしごし手洗いしていました。
またご飯を炊くのは火鉢に炭を入れて土釜で炊き上げていたのが鋳物製の金属釜になりました。
それが中学生のころ昭和の高度成長期になり三種の神器と言われた冷蔵庫・電気洗濯機・白黒テレビが一般家庭に普及するようになりましたが、その白黒テレビが普及する前は金持ちの家のテレビに近所の人が集まっていました。
また電話が使えるようになりましたが公衆電話が設置される前は(緊急時にだけ)金持ちの家の電話を借りていました。
然るに私の成長期のころは(高度成長期が始まる前は)…自然界の恵みの衣食住でもって何とか生きているだけでもアリガタイ時代でした。
そしてお婆ちゃんなどが欲張っちゃダメよ、贅沢すればバチが当たるとか、嘘をついてもお天道様が見ているよ…なんて言っていた時代でした。
だから一家に数台の車が使われている時代となり全自動洗濯機や大型冷蔵庫や大型液晶テレビが当たり前になり、幼い子供さえも携帯電話スマホを持つ時代となるとはまさにSF如き時代です。
そんな過去を経験しながらも…頑張り欲張り見栄張りしながら自己拡大し続けていた私が逆に自己縮小が仕組まれ欲張らない実践を書くまでになったのですが…
その自己縮小からして約20年が経過しますが、なんで欲張らない実践が続くのかと言えば…
自然界に元からしてなかった趣味嗜好娯楽を含めた人為人工的な諸々から離れた生き方からして気付き…それが自信確信・納得し・悟りとなったからです。
然るに自己拡大から自己縮小になったことからして≒その自己縮小にして生きる価値を見出したことからして≒二度と自己拡大の道に戻ることはありません。
またその自己拡大と自己縮小の矛盾を味わったことからして≒この世人間界の矛盾に気付き目覚め・めでたく卒業できたことからして≒二度と矛盾に満ちた生き方には戻りません。
然るに豊かな自然界の衣食住でもって食って寝て糞をしながら生きているだけで満足納得できるのです。
それでも幼い頃とは状況環境が比べ物にならないくらい進化発展しているから…まさに天国で暮らしているようなものです。
何はともあれ…自己拡大と自己縮小の矛盾を実際に味わうことで…この世人間関係の矛盾が明らかになり…その矛盾でもって生きている愚かさに気付き…
その矛盾に満ちた人間関係からめでたく卒業できれば…おめでとうございますとなり…
宇宙・神・愛の仕組みからして…自由平等の調和に満ちた…新たな世界でもって生きていくことになるようです。
そしてこの世が矛盾に満ちていることからして言えば…
調和に満ちた新たな世界にアセンションするのか、
それとも人間やめますかのハルマゲドンに突き進んでいくか、
その選択にもなります。
ちなみに昭和初期まで大八車と言われる木製の荷車を人力で引いて荷物を運んでいましたが、私が幼少の頃は人力ではなく馬が引く荷馬車が町中を通っているのが当たり前でした。
また子供は裸足で遊んでいましたが学校に行く時にワラ草履をはいていくようになりやがて運動靴になりましたが、その運動靴さえもなかなか買ってもらえませんでした。
また井戸がない家庭は川で洗濯するのが当たり前でしたし、レンガくらいの固形石鹸を手ごろな大きさに切ってごしごし手洗いしていました。
またご飯を炊くのは火鉢に炭を入れて土釜で炊き上げていたのが鋳物製の金属釜になりました。
それが中学生のころ昭和の高度成長期になり三種の神器と言われた冷蔵庫・電気洗濯機・白黒テレビが一般家庭に普及するようになりましたが、その白黒テレビが普及する前は金持ちの家のテレビに近所の人が集まっていました。
また電話が使えるようになりましたが公衆電話が設置される前は(緊急時にだけ)金持ちの家の電話を借りていました。
然るに私の成長期のころは(高度成長期が始まる前は)…自然界の恵みの衣食住でもって何とか生きているだけでもアリガタイ時代でした。
そしてお婆ちゃんなどが欲張っちゃダメよ、贅沢すればバチが当たるとか、嘘をついてもお天道様が見ているよ…なんて言っていた時代でした。
だから一家に数台の車が使われている時代となり全自動洗濯機や大型冷蔵庫や大型液晶テレビが当たり前になり、幼い子供さえも携帯電話スマホを持つ時代となるとはまさにSF如き時代です。
そんな過去を経験しながらも…頑張り欲張り見栄張りしながら自己拡大し続けていた私が逆に自己縮小が仕組まれ欲張らない実践を書くまでになったのですが…
その自己縮小からして約20年が経過しますが、なんで欲張らない実践が続くのかと言えば…
自然界に元からしてなかった趣味嗜好娯楽を含めた人為人工的な諸々から離れた生き方からして気付き…それが自信確信・納得し・悟りとなったからです。
然るに自己拡大から自己縮小になったことからして≒その自己縮小にして生きる価値を見出したことからして≒二度と自己拡大の道に戻ることはありません。
またその自己拡大と自己縮小の矛盾を味わったことからして≒この世人間界の矛盾に気付き目覚め・めでたく卒業できたことからして≒二度と矛盾に満ちた生き方には戻りません。
然るに豊かな自然界の衣食住でもって食って寝て糞をしながら生きているだけで満足納得できるのです。
それでも幼い頃とは状況環境が比べ物にならないくらい進化発展しているから…まさに天国で暮らしているようなものです。
何はともあれ…自己拡大と自己縮小の矛盾を実際に味わうことで…この世人間関係の矛盾が明らかになり…その矛盾でもって生きている愚かさに気付き…
その矛盾に満ちた人間関係からめでたく卒業できれば…おめでとうございますとなり…
宇宙・神・愛の仕組みからして…自由平等の調和に満ちた…新たな世界でもって生きていくことになるようです。
そしてこの世が矛盾に満ちていることからして言えば…
調和に満ちた新たな世界にアセンションするのか、
それとも人間やめますかのハルマゲドンに突き進んでいくか、
その選択にもなります。