孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

この世人間界が不満とその欲と良い悪いで判断する矛盾意識とその差別意識でもって生きているからには人間関係に「調和」はありません。

2020年11月24日 | Weblog
この世人間界が不満とその欲と良い悪いで判断する矛盾意識とその差別意識でもって生きているからには人間関係に「調和」はありません。

だから同じ屋根の下で共に暮らしていようが…
同じ仲間と一緒になって楽しく過ごしていようが…
職場や作業で共に働いていても…
何某の講演会や懇談会や集会やパーティーやお祭りに仲良く参加していても…
人それぞれの個性や性格や思い意識精神や感性が異なるだけに…
その人間関係が調和関係になることは絶対になりません。

然るに孤独で生まれ孤独で死ぬことからして天涯孤独なのが人間なのです。

また生まれながらにして持っている本脳の個人意識・自己中心意識からしても…孤独で生きる運命になるのです。

なのに一人じゃ寂しい虚しいの孤独感からして「不満」となり、そこで同じ思いの人や似たもの同士や好き者同士が集まりたがるのも、天涯孤独の孤独感から離れたい「欲」からして集まっているのです。

然るに人それぞれの欲からして人が集まっているのです。

ちなみに何らかの欲が無ければ…時間やお金をかけて・身なり衣装まで整えて・わざわざ人の集まるところへは出かけたりはしません。

また人間は良い悪いの善悪優劣損得の「矛盾」で生きていますから、当然ながら原因と結果は同じですから、何を成せども同じ矛盾するそして分離差別する結果となり、どっちもどっちの中途半端になり、完全に納得満足とはなりません。

また何か事を成すことでその苦労や苦悩やら試行錯誤からして苦となりますが、その苦あれば楽もある・その喜怒哀楽の矛盾を味わうことになります。

そして不満からして事を始め自己満足することになりますが・しかしその自己満足できるほどの結果が出ないと・此れまでの苦労が水の泡となるだけではなく・その苦の上に失意やら無念さやらで納得できない不満の苦を積み重ねる二重苦ともなっているのです。

だから一時的な自己満足のために苦を積み重ねることにもなるのです。

何はともあれ…不満と欲と矛盾でもって…喜怒哀楽の人間人生となっているのは事実なのです。

しかも成した結果を善悪優劣損得の矛盾でもって比較し「差別」されますから…
その結果が良かれ悪しかれ…不満と欲とその矛盾とその差別に満ちた…生き方人生となるのです。

ちなみに私が仕組まれ続けて自己縮小となる以前に気付いたことにあるのが…
私が原因で起きた結果なら自力と自信の精神力&自己責任で何とかなるのに…
取引先の不満と欲と矛盾からして巻き込まれて不合理な不条理な理不尽な思いをしたり…
また妻の不満と欲と矛盾からして巻き込まれて不調和になっていることや・妻の我欲からして何かと押し付けられている無情さ理不尽さにも気付いたことからして…
また自分のことなら何とかなるのに…人様のことは自分の力量ではどうすることもできないことからして…
結果的に過疎地でもって孤独の自由を味わうことになったのです。

ちなみに私が不満と欲と矛盾や差別意識を持っていても…孤独の自由にしているから…世間や身近な人間関係からして何事かに巻き込まれたり、私が原因で人様を巻き込むことにもなりません。

然るに人それぞれが個人の自由&孤独の自由にして生きていくほうが何某の問題や犯罪や事件に巻き込まれることもまた己が人様を巻き込むことにはなりません。

また食って寝て糞をしながらこの世人間界で生きているかぎり…
生産と消費の経済関係からしても・誰も皆がお互い様とお蔭さまの関係になりますから…
何ら特別な人間関係が無くても・何ら支障なく・何ら差別することなく…
普通意識でもって普段と変わらずに生きていくことになります。

然るに何ら特別なことが無くても生きていけるのです。

また持ち前の本能の不満や欲が出てきても…
その原因と結果からして喜怒哀楽の矛盾になることを自覚していますから…
何らかの結果を出すことに拘り執着して頑張り見栄張り欲張ることになりません。

だから人間として生きている価値を味わいながらも世間の片隅で静かにして…喜怒哀楽のストレスから卒業して…心穏やかに生きていくことが出来るのです。