孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

ハイスピードでもってハルマゲドンに突き進むのか…スローライフにしてアセンションを待つのか…その選択が現在です。

2020年11月07日 | Weblog
人間は大昔から普通では事足りずに特別を目指してきたから自然界や人間界がヘンテコになりました。

ちなみに縄文時代はその縄文時代が普通で当たり前でしたから長く続きました。

ところが普通で当たり前では事足りずに…此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして人が集まり集合化され能率効率化されて特別になり、過去の縄文時代より文化文明が優れた弥生時代となりました。

ところが特別な弥生時代が続いている内にそれが当たり前の普通になりはじめ、それでは事足りなくなって頑張り欲張り見栄張りしながらいつの間にやら文化文明が進化発展した特別な時代が始まりました。

そんな時代も慣れ親しむことで普通になりましたが、ところが人間の尽きない欲望からして古い時代が終わり新たな時代が始まるという繰り返しからして文化文明が進化発展してきました。

ちなみに戦国時代を終わらした徳川時代では天下泰平が長く続きましたが、それでも下級武士たちの不満と欲からして明治維新となり、その勝てば官軍となることからして最新兵器を持つ軍事国家となり第一次世界大戦と第二次世界大戦となりました。

その第二次世界大戦中の昭和16年に私が生まれましたが…進化発展した軍事兵器の原子爆弾でもって敗戦し終戦となりました。

そして私が小中学生の頃は国鉄やバスや電車が走り出した頃でしたが、まだトラックが少なくて荷馬車が町中を通っていましたし、自転車さえも少ない時代でしたし、盆や正月に白黒フイルムの映画を観るのが贅沢な娯楽でしたし、やがて白黒テレビが始まり金持ちの家の一台のテレビにご近所が集まっていましたし、有線電話も金持ち宅に限られいましたし、お風呂も銭湯で満員でしたし、井戸がない家庭の洗濯は小川の洗濯場が当たり前で、また火力と言えば薪や炭や練炭でした。

ちなみにそれが当たり前の普通でしたが…やがて高度経済成長時代が始まり三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)が一般的普通になりましたが、これまた特別な文化文明が始まりSFが如くの時代になりそれが普通になりましたが、まだまだこれからも進化発展して特別になっていくことでしょう…

前置きが長くなりましたが…
当たり前の普通が続いているうちに特別が始まり、その特別が普通になる、その繰り返しからして文化文明が進化発展してきました。

然るに人間の欲望と才能からして文化文明が進化発展し続けていますが(自己陶酔や洗脳絡みからして)それを良しとするのが一般的で普通になりました。

しかし矛盾に満ちたこの世だけに…文化文明の進化からして自然界が衰退してきました。

然るに人間の文化文明のために命の元となる自然界が危機的状況にもなっているのですが、それが人類の終末・ハルマゲドンにつながっているのです。

しかしハルマゲドンがあるからにはアセンションも同時進行しているのが矛盾のあるこの世人間界なのです。

然るに特別な文化文明が進化発展しすることを良しとすのか、それとも普通で止まるのか、その選択でもありますが…
根本的に言えば…姿形の結果を追い求めるのか、それとも原因となる精神意識を追求するのか、その選択なのです。

然るに…当たり前の<普通>で満足納得して止まりその心穏やかな精神安定にして暮らしていくのか、それでは事足りずに<特別>に欲張り続けて結果的に喜怒哀楽のストレスを味わう人生で終わるのか、その選択なのです。

すなわち「命の元の自然」と共にして「生きている」だけで満足納得するのか、「人為人工的」な変化刺激の喜怒哀楽で生きるのか、その選択でもあります。

また別な見方をすれば…
縄文時代で世界一周するのに100年かかるとし、そして時代ごとに文化文明が進化発展するたびにスピード化され続けることで一日で世界一周できるようになり、それが進化発展してSFが如くになれば一時間で世界一周できるようにもなっていきます。

然るに欲望に任せて矛盾と偽善と差がある「結果」を早く出すことに専念するのか…
それとも「原因」意識精神を悔い改め修正改革して慌て騒がずゆっくりとスローライフにしていくのか…

ハイスピードでもってハルマゲドンに「突き進む」のか…
スローライフにしてアセンションを<待つ>のか…
その選択でもあるのです。