孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

生きている事実の価値を味わったのではなくて、事を成した自惚れ慢心からして自慢したくなる、その思い価値観を味わっているのです。

2020年06月30日 | Weblog
何度も書いていることですが…原因と結果は同じです…自覚納得となったでしょうか?!

然るに不満と欲と矛盾意識でもって間違い狂っている意識生命体の人間が思い考え成している人為人工的な諸々も(何を成せども)同じ結果が出続けます。

ちなみに何事か成す時の肉体的苦労や苦痛や感情体や精神体の苦悩が伴い、それでもって結果を成すことが出来ても、その原因意識が修正改革されたわけではありませんから、その結果を成した自己満足の思いと苦労苦痛苦悩が伴った、その満足とその苦の矛盾する喜怒哀楽の思い・心身のストレスを味わっただけになります。

然るに生きている事実の実のある価値を味わったのではなくて、己の思いを成した・比較競争判断した・その自惚れ慢心からして自慢したくなる、その思い価値観を味わっているのです。

すなわち事実ではなくして…価値観&思い想像の世界でもって生きていることになります。

だから間違い狂ったこの世人間界の集合意識の常識や冠婚葬祭を含めた伝統風習や道徳などから離れて…
豊かな自然界の恩恵である衣食住のお蔭で食って寝て糞をしながら何とか生きているだけでありがいことだと感謝できるような人間となれば…
巷の人為人工的な諸々の喜怒哀楽の矛盾結果となるその文化文明や伝統風習や趣味嗜好娯楽やが次第に色あせて必要無くなります。

然るに人為人工的な諸々の変化刺激に惑わされたその思い価値観とな異なる…
必然のご縁からして元からして用意されている自然界と接し関わることの価値事実に目覚めることになるのです。

またそれら喜怒哀楽の思いから離れたことからして気付くのが、過去の諸々に熱中していた自分の精神の愚かさにも気付きます。

然るに肉体的であり感情的な喜怒哀楽の思いで生きるよりも、自分の精神に問い掛け続けながら・自問自答しながら生きることに目覚めたのです。

となれば…人様の身勝手な思い感情や強情さや薄情さや理不尽さに左右されている己の精神の未熟さに気付いたのです。

然るに人様の性ではなくして自分の精神に問題が有ったのです。

そして不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている人間関係から離れて孤独の自由となったことからして気付き納得確信となったのが…その孤独の自由の有難さです。

然るに諸々の人間関係から離れたことで見栄や世間体やのプライドが出てこなくなり…
また私の能力力量ではどうすることもできない・家族を含めた人様の有様を自然体の成り行きに任すことで・見守りながらもほっとくことで…まったく気にならなくなり…
結果的に頑張り見栄張り欲張る必要性がどんどん減少し…
その肉体的・感情的・精神的な余裕からして…
代わりに自然界の普通の有様やごく稀なる貴重な有様や摩訶不思議な超常現象やの事実にして接し触れ合うことの楽しさ面白さや不思議さやその喜びを感じるようになったのです。

然るに前もっての思い思惑や計画や理想や期待や願望がないままにして(思い想像の世界から脱却して)宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁の仕組みに任せた・諸々の人間関係から離れた自然体&成り行き任せでもって生きることを実践しているところです。

ちなみに真剣に繰り返し読むことで納得できれば貴方様の人生の方向性が定まるかもしれません…