孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

縄文杉が縄文杉として生きている価値を味わい≒自然界のドラマの繰り返しの中で人間が人間として生きている価値が味わえる。

2020年06月15日 | Weblog
天地創造の宇宙の仕組み・俗に言う神の仕組み・自然界の愛の仕組みからして万物が誕生しましたから、その万物の頂点に立つ人間も同じ宇宙自然界の一員です。

だからその自然界の仕組みの中で生まれ育ち生きていくことになります。

ゆえに宇宙万物と共に自然界の仕組みのドラマの中で死するまで生きていく運命ともなります。

ところが万物のように自然界の仕組みに従って…例えば縄文杉の事例のように…自然体の成り行き任せにして実在存在しいるだけではその価値・生きている値打ちを自覚できないままに・味わい知らずに・見出せないままに・朽ち果てて生涯を終えるかもしれません。

そこで先ほどの宇宙・神・愛の仕組みからして(比較競争差別しないその自然界だけだったのに)(縄文杉とは異なる仕組みの必然性からして自然界の中に万物の長として人類が創造され)その自然界の頂点に立つ人間に限り…思い考え想像する能力やその創意工夫する能力やまた良い悪いの矛盾でもって判断しながら生きていく能力や好き嫌いの感情からして選り好みしながら個性的に生きていくように仕組まれました。

となれば当然ながら矛盾しているだけに山あり谷ありの波乱万丈を味わったり、喜びや悲しみや楽あれば苦ありの、その満足と不満の喜怒哀楽の矛盾でもって生きていくことになります。

そして頑張り努力して手にした名誉名声肩書やら権威権力や財力を持っていても…賢い判断ができる人ならば…単なる自己満足や自惚れ慢心で終わる事実・死ぬ時が来れば無となる事実・死後のあの世では必要ないことを自覚認識することになります。

となれば…欲張り頑張り努力した結果・喜怒哀楽の繰り返しからして得た結果が無となるのならば…あの世に通用しないのならば…
そこで自然界のように(縄文杉のように)成り行き任せの自然体で生きているほうが楽ちんだと気付き悟ります。

ちなみに矛盾偽善に満ちた人為人工的な変化刺激や快感快楽やの喜びあり苦ありの喜怒哀楽で生きていくことが人間としては余計なことで無駄になることで愚かなことだと悟ることになれば、その喜怒哀楽で生きることから卒業し離れていくことになります。

すなわち成り行き任せの自然体にして縄文杉が如くに生きていくことの(今まで気付かなかった)真の価値に目覚めることになります。

ちなみに私が自己拡大でもってその喜怒哀楽を味わっていたのに、なぜか奇跡が如くの宇宙・神・愛の仕組みの数々からして(特別な超能力や霊力や念力を持たない私が)思いもよらない真坂の過疎地暮らの自己縮小となり、

不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている人間関係から離れた孤独の自由を味わいながら、
また必然ご縁で起きた(摩訶不思議を含めた)自然界のドラマやその繰り返しを事実にして味わっていれば、
それで人間として(人間関係が無くても)(生きがいとなる変化刺激や快感快楽が無くても)(人為人工的な思惑や期待や願望や信頼や絆や愛情が無くても)(自然界の仕組みの必然ご縁の愛があれば)(暇で退屈していても・何とか生きていれば)十分納得できることになるのです。

そして欲が出ても欲張らずにして生きていくことの価値・自然体で生きている価値、人為人工的な変化刺激や喜怒哀楽が必要ないことに気付き悟ったようにです。

すなわち…宇宙生命体&意識体である縄文杉が縄文杉として(あるがままの自然体で)(仙人が如くに)生きているその価値があること…

だから生まれながらにして持っている不満と欲と矛盾意識のある人間である私が(縄文杉や仙人が如くの生命体・精神体・意識体になれなくても)人間が人間としていきている価値を見出した如くの感覚をいま味わっているところなのです。

何はともあれ…人類が創造されたことで皆して欲張り続けて時代を進化発展させることや戦車や軍艦やロケットや核兵器で人間同士が殺し合いハルマゲドンに進むのではなく、

すべては一つの宇宙の進化発展のために宇宙生命体の人間意識・次元意識をアセンションすることにあります。

このページは…私がまぎれもない事実にして数々見てきた自然界の小さなドラマの完結編となります。