絹糸の原糸となる蚕を育てる桑の木が10本以上も放置されたままになって大きくなり過ぎて田んぼが日陰になることからして、牛舎のオーナーから頼まれて伐採していますが、周りの雑草が背丈ほどに生い茂り足の踏み場が無いほどです。
そこでまずは雑草を草刈り機で刈り取るのですが、毒蛇のマムシと出くわすし、親指ほどの卵が産まれている何かの巣があったり、巷で言われるタヌキの糞だまり・山盛り💩を始めて見ましたが、タヌキは同じ場所で排便する習性があるそうです。
また数年前に我が家の敷地周辺でタヌキが陽光を浴びていて、通りかかった私がそばでいるのに、静かに座ったまま微動だにしないで、如何にも瞑想しているが如くでしたし、その狸の全身の毛が黄金のように輝いて金色狸になっていたのは不思議でした。
また一週間くらい前のことですが、私が庭先のベンチに寝そべって昼休みをしているのに気付かないのか?餌探しに夢中なのか?庭先でうろうろしながら私にどんどん近づいて来て、やがて3メールくらいの近くで小さな穴を掘って10㎝くらいのモグラを捕獲し一気にのみ込みましたが、その後も私にどんどん近づいてくるので、おいコラ!と声を出して脅かすも平気で足元まじかに近づきましたので、さすがの私も驚いて足をバタバタさせるとやっとこさ私に気付いてこそこそと逃げていきました。
また庭先に底の浅い水鉢に雨水を入れて置いているとホオジロやアカゲラがすいと飛んできて水飲みしたり水浴びに来ます。
またすぐ近くの防火水槽に大きなフクロウがおぼれ死んでいるのを2回見ていますが、たぶん水飲みや水浴びに失敗したものと思われます。
また毎年竹藪の竹を20本ほど伐採して燃料にしているのですが、10年ほど前に伐採した時に、竹の枝先に小さな小鳥の巣・空き巣がぶら下がっているのがありました。
ちなみに竹の枝先にぶら下がっている小鳥の巣なんて初めてですし、しかも神業ごとく綿密に編み込まれていたので今も保存しています。
また過去のことですが…ニワトリ小屋周辺の罠にかかったり網目に引っかかったりしたハクビシンやアオダイショウやカラスやトンビや鷹をしばらく飼育したことがありますが、しばらく飼育観察してから自然界に放しました。
ちなみに飼育中のカラスの悪賢さを書けば長くなるのでカットします。
また軽四トラックで牛舎のパートや買い出しに行くのですが、猪の親子連れや綺麗な羽を持つキジや山鳥やスマートなウサギや群れ離れしたサルに出くわしますが鹿にはまだご縁がありません。
またアオダイショウの体温が下がったときにその体温を上げるためにアスファルトの路面で寝そべることからして車にひかれているのは何度も見ています。
その大きくて太いアオダイショウが1㎝の網目をすり抜けてニワトリ小屋に侵入して卵をのみ込んだり、時にはニワトリの首筋から肩近くまでのみ込んでグルグル巻きにして力を込めて食いちぎることができます。
だから首と肩の一部が切り取られたニワトリの死骸を見ました。
ところが卵をのみ込めば腹が卵型に膨らむので1㎝の網目をすり抜けることが出来なくなるから、それが消化できるまで鳥小屋から逃げ出せません。
その卵をのみ込んだ蛇が憎らしくなってこん棒で叩いてお仕置きをするのですが、それに懲りずに何度も侵入してくるので頭にきて胴体を二つにして切り殺したことが一度ありましたが、あまりにも残酷なので悔い改めました。
またハクビシンは10㎝程度の隙間から出入りすることができます。
ちなみに飼育しているニワトリに悪さをする蛇やハクビシンを外敵としていた過去がありますが、その飼育をやめた現在では当然ながらその被害がありません。
然るに被害があるから敵対していたことに気付き、その自分勝手な過ちを二度と起こさないように心掛け続けていましたから、現在では敵対していた害畜に愛着を持つまでになりました。
またオスのトカゲや大小の毛虫やジョロウグモやの極彩色に見惚れています。
また7年ほど前に敷地内の急斜面の土手が崩れてその土砂が平地で山盛りになったまま放置していたのですが、不思議なことにその土砂の上に山桜と梅の木が自生し成木し、その梅の木に実がなるようになりました。
しかも梅の木に大きなトゲが多く付いていて、どうやら原種らしく、しかも最初は白梅だったのに3年後からは紅梅となり結実するようになりました。
またタケノコを始めワラビやフキやイタドリやミョウガやドクダミ草やツクシは取り放題です。
ちなみにツクシは伸び始める前の出芽した時点で採って味噌汁に入れると美味しいと言われています。
またミョウガを大きく刻んでご飯と一緒に炊き上げるとミョウガ飯になり絶妙な風味が楽しめます。
そして摩訶不思議なことにあるのが…今年で12年連続となる謎の発光体&地球外生命体が今も現れています。
何はともあれ…巷の人為人工的な趣味嗜好娯楽やの変化刺激とその喜怒哀楽の矛盾から離れていることからして、いつの間にやら身近な自然界の中で起こる小さなドラマでもってその事実を自覚認識し納得できるまでになり、その素朴な価値を素直に味わうことができる精神体となりました。
だから人為人工的な諸々に接し関わっていることよりも、自然界と関わっているほうが人間として生きている感覚が味わえます。
ちなみにこのページを前編として後日に後編と完結編を投稿します。
そこでまずは雑草を草刈り機で刈り取るのですが、毒蛇のマムシと出くわすし、親指ほどの卵が産まれている何かの巣があったり、巷で言われるタヌキの糞だまり・山盛り💩を始めて見ましたが、タヌキは同じ場所で排便する習性があるそうです。
また数年前に我が家の敷地周辺でタヌキが陽光を浴びていて、通りかかった私がそばでいるのに、静かに座ったまま微動だにしないで、如何にも瞑想しているが如くでしたし、その狸の全身の毛が黄金のように輝いて金色狸になっていたのは不思議でした。
また一週間くらい前のことですが、私が庭先のベンチに寝そべって昼休みをしているのに気付かないのか?餌探しに夢中なのか?庭先でうろうろしながら私にどんどん近づいて来て、やがて3メールくらいの近くで小さな穴を掘って10㎝くらいのモグラを捕獲し一気にのみ込みましたが、その後も私にどんどん近づいてくるので、おいコラ!と声を出して脅かすも平気で足元まじかに近づきましたので、さすがの私も驚いて足をバタバタさせるとやっとこさ私に気付いてこそこそと逃げていきました。
また庭先に底の浅い水鉢に雨水を入れて置いているとホオジロやアカゲラがすいと飛んできて水飲みしたり水浴びに来ます。
またすぐ近くの防火水槽に大きなフクロウがおぼれ死んでいるのを2回見ていますが、たぶん水飲みや水浴びに失敗したものと思われます。
また毎年竹藪の竹を20本ほど伐採して燃料にしているのですが、10年ほど前に伐採した時に、竹の枝先に小さな小鳥の巣・空き巣がぶら下がっているのがありました。
ちなみに竹の枝先にぶら下がっている小鳥の巣なんて初めてですし、しかも神業ごとく綿密に編み込まれていたので今も保存しています。
また過去のことですが…ニワトリ小屋周辺の罠にかかったり網目に引っかかったりしたハクビシンやアオダイショウやカラスやトンビや鷹をしばらく飼育したことがありますが、しばらく飼育観察してから自然界に放しました。
ちなみに飼育中のカラスの悪賢さを書けば長くなるのでカットします。
また軽四トラックで牛舎のパートや買い出しに行くのですが、猪の親子連れや綺麗な羽を持つキジや山鳥やスマートなウサギや群れ離れしたサルに出くわしますが鹿にはまだご縁がありません。
またアオダイショウの体温が下がったときにその体温を上げるためにアスファルトの路面で寝そべることからして車にひかれているのは何度も見ています。
その大きくて太いアオダイショウが1㎝の網目をすり抜けてニワトリ小屋に侵入して卵をのみ込んだり、時にはニワトリの首筋から肩近くまでのみ込んでグルグル巻きにして力を込めて食いちぎることができます。
だから首と肩の一部が切り取られたニワトリの死骸を見ました。
ところが卵をのみ込めば腹が卵型に膨らむので1㎝の網目をすり抜けることが出来なくなるから、それが消化できるまで鳥小屋から逃げ出せません。
その卵をのみ込んだ蛇が憎らしくなってこん棒で叩いてお仕置きをするのですが、それに懲りずに何度も侵入してくるので頭にきて胴体を二つにして切り殺したことが一度ありましたが、あまりにも残酷なので悔い改めました。
またハクビシンは10㎝程度の隙間から出入りすることができます。
ちなみに飼育しているニワトリに悪さをする蛇やハクビシンを外敵としていた過去がありますが、その飼育をやめた現在では当然ながらその被害がありません。
然るに被害があるから敵対していたことに気付き、その自分勝手な過ちを二度と起こさないように心掛け続けていましたから、現在では敵対していた害畜に愛着を持つまでになりました。
またオスのトカゲや大小の毛虫やジョロウグモやの極彩色に見惚れています。
また7年ほど前に敷地内の急斜面の土手が崩れてその土砂が平地で山盛りになったまま放置していたのですが、不思議なことにその土砂の上に山桜と梅の木が自生し成木し、その梅の木に実がなるようになりました。
しかも梅の木に大きなトゲが多く付いていて、どうやら原種らしく、しかも最初は白梅だったのに3年後からは紅梅となり結実するようになりました。
またタケノコを始めワラビやフキやイタドリやミョウガやドクダミ草やツクシは取り放題です。
ちなみにツクシは伸び始める前の出芽した時点で採って味噌汁に入れると美味しいと言われています。
またミョウガを大きく刻んでご飯と一緒に炊き上げるとミョウガ飯になり絶妙な風味が楽しめます。
そして摩訶不思議なことにあるのが…今年で12年連続となる謎の発光体&地球外生命体が今も現れています。
何はともあれ…巷の人為人工的な趣味嗜好娯楽やの変化刺激とその喜怒哀楽の矛盾から離れていることからして、いつの間にやら身近な自然界の中で起こる小さなドラマでもってその事実を自覚認識し納得できるまでになり、その素朴な価値を素直に味わうことができる精神体となりました。
だから人為人工的な諸々に接し関わっていることよりも、自然界と関わっているほうが人間として生きている感覚が味わえます。
ちなみにこのページを前編として後日に後編と完結編を投稿します。