孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人様の思いを害する加害者の立場になりたくないから孤独がいいのです。

2019年06月02日 | Weblog
不満と欲と矛盾に満ちた人間関係の中で生きていることはその被害者になるばかりか加害者になっていることに心の底から理解し納得確信となっている人は少ないと思っています。

ちなみに私は役割仕事や世間や家族やの中で無情さ理不尽さを味わうことに耐えられなくて・我慢ならなくて過疎地暮らしの孤独の自由を選んだのではありません。
…必然ご縁で仕組まれたその成り行きの結果です…

ちなみに好きで始めたビデオ事業が軌道に乗ってこの世の春を味わっていた時に…これで本当にいいのだろうか?…ふと疑問がよぎったのです…今で言う仕組まれたのです。

そこで自問自答した結果…日進月歩のビデオについていくことの金銭的な限界に気付き…ならば早めに撤退するほうが無難に終わるとなり…新規投資しないで一年後に自主廃業しました。
…でなければ多額の負債を抱えて倒産することになっていたでしょう…

その自主廃業に至る一年間の間に次から次と一直線に仕組まれ続けて面白半分の過疎地暮らしが本物になり現在に至っています。

そこで暇つぶしのブログを書くことになり…過去の自己拡大と現在の自己縮小を省みながら約20年間ブログを書き続けています。

ちょっと寄り道しましたが…
不満と欲と矛盾に満ちた人間関係であっても…私が家族と離れていることで余計な口出し手出し押し付け押し売りすることになりません。

と言うことは…家族の心を傷つける加害者になりませんから…相手に体感で伝わらないが…家族を思いやる心を持っていることになります。

また離れているからには家族が私の心を傷つけることにもなりません。
そして私に体感で伝わってこないが…明るく元気に過ごすことを思いやってくれていれば…
互いが遠く離れていても…お互い様とお蔭さまの関係となります。

とにかく不満と欲と矛盾に満ちた人間関係の中で共に生きていれば人様の心を傷つける加害者になったり逆に被害者にもなるのです。

だから素朴謙虚に生きているほうが己のためにも人様のためにもなるのです。

しかし我欲で欲張り続けていれば己の墓穴を掘ることになったり自分の首を自分で絞めることになるばかりか人様にはた迷惑なことにもなるのです。

また良かれと相手を思いやることさえ矛盾する結果になるのだから善人づらすることもありません。

まして物や金を施す偽善者になることもありません。

然るに古今東西の名立たる有名人を真似る必要もありません。

そしてこの世人間界は間違い狂っているのですから…私は正しいの思いを持たないことです。

ちなみに私は正しいの思いからして…己を守るために敵対するものと闘う防衛本能と攻撃本能の矛盾する意識からして…人殺し戦争となっているのです。

また虚栄心・見栄や世間体やのプライドも私が正しいの思いが原因からして出た欲だから守りたがるのです。

ゆえに不満と欲と矛盾に満ちた世間の中で目立つことにもなっているのです。

然るに世間で目立つ立場になっていることは…多くの世間の人を害する加害者であり、また精神未熟な己の恥じを世間にさらしている立場になります。

すなわち自分の良いところを見せびらかしながらも内に隠れた悪い精神を見せ示している矛盾となります。

然るに自慢したがるほど愚かな精神を持っていることになります。

ちなみに私が過疎地でもって孤独の自由を味わっている中に…不満と欲と矛盾に満ちた世間を味わい知りたくない思いがあります。

だから世間に馴染み難いのです。

一例を書けば…ボロを着ていても平気なのだが世間に出掛ける時は身なりを整えなければなりませんから…それが気苦労で面倒くさいのです。

然るにそれが冠婚葬祭伝統風習の儀式儀礼となれば尚更苦手なのです。

ゆえに世間一般から見れば私は落第生だが…精神面からすれば優等生になったつもりでいます。

だから暇で退屈しながらも20年近く続いているのです。

然るに人恋しさからくる煩わしさが面倒だから…私を「必然」とする人としかご縁がつながらないのです。

…人を煩わす私になりたくないのです…
人様の思いを害する加害者の立場になりたくないのです。
だから孤独が見合っているのです。