孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

欲張って心精神を乱すよりもストレスのない方向性を選んで精神安定にして生きていくのが人間本来の生き方なのです。

2019年06月21日 | Weblog
自己縮小となる過疎地暮らしが始まったのが62才でしたが…
喜怒哀楽のストレスがなくなったのと併せて肉体や感情体に拘り執着することも無くなり、またブログを書いていることもあって、常に精神世界を意識している時間が多くなりました。

ちなみに月十五日の二日おきの二~三時間の牛舎のパートに従事していても作業が簡単だからミスらない程度にしながらも精神世界を常に意識して動いています。

ちなみに粉塵やハエが飛び交い牛糞の匂いに満ちていてもまったく気になりませんし、猛暑の日となれば下着がビショビショになって絞れば汗が滴るほどになりますが、それでも私を必然としているオーナーに応えているだけに苦になるどころかやりがいがあります。

だから暇つぶしのパートが収入にもなり、しかもオーナー夫妻や息子さんまでが喜んでいるのですから、一石二鳥・一石三鳥にもなっています。

また私の自惚れ慢心ですが…スーツにネクタイでもってビデオ撮影していた過去があるのに…なぜか世間体や見栄やのプライドが出てきません。

また面倒くさいからパートの着衣のままに買い出しに行きたいのですが他のお客様に不愉快な思いをさせたくないからちょこっとだけ着替えています。

…いま思えば必然性に合わせていただけで…元からしてプライドがなかったのです…
だから過疎地暮らしを選んだり、ボロ着を着こんだり、顔や手を洗わなかったり、グーたらに生きることにもなったのです。

何はともあれ…歳月を重ねるごとに肉体的にどんどん衰えているのに何だか元気でして…時たまに出会う人からいつも元気そうですねと言われることもあります。

ちなみにその原因は…肉体が衰えても精神体は衰えない…年齢に関係ないのが精神体なのです。
だから精神体が元気であれば肉体も元気になれるのです。
ちなみに精神年齢は過疎地暮らしが始まった62歳のままです。

そこで付け加えたいことにあるのが…
私の感情が高ぶったことがあるのは20歳ころの食品卸問屋でミスったはずもないのにミスったことになった理不尽さに腹だったことと、ビデオ撮影制作を本格的に始動さすときに妻が反対した時の二回しかありません。

何はともあれ…肉体や感情体に左右され揺れ動くことなく・自力と自信の不動の精神でもって生きていくことができれば自分の心身のためになるのは確かです。

然るに欲張って心精神を乱すよりもストレスのない方向性を選んで精神安定でもって生きていくのが人間本来の生き方なのです。

ゆえに文化経済よりも自然界と共に生きる道筋を選んで生きていくことになります。

ちなみに自然界の恵みがあっても時として自然災害があったりするけれども逆に生活に役立つ宝ものや資源を出してくれる時があったり超常現象や異次元を見せてくれたりすることで納得して自然界と親しく接していけばいいのです。

そしてすべてはひとつの宇宙自然界の流れ宇宙進化のアセンションの流れに乗れれば三次元人間の役割使命が終わるのです。

ところが自然界よりも我欲を通することになればアセンションから見放されます。

そして宇宙のチリ(素粒子)が如くになって、意識命はあるものの宇宙でさ迷えるゴミが如くの存在になります。

然るに人それぞれの意識次第で成るようになっていくのが宇宙・神・愛の仕組みなのです。