孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間には食欲と性欲があり、意欲とは逆に面倒くさがるグーたら精神がある

2019年06月11日 | Weblog
人間が生まれながらにして持つ本能に食欲と性欲があり、また攻撃本能と自己防衛からして守るために闘うと言う矛盾する本能を持っています。

その本能を満たすために意欲があります。

ちなみに食欲性欲を含めた思い思惑理想目的などの志しを成すために意欲的になります。

ちなみに持ち前の知恵や知識からして創意工夫したり、新たな事柄を成すために意欲的になり新たな創意工夫をすることにもなります。

然るに初歩的なてこの原理とか回転させることで楽になることを知ったのも創意工夫することから得たものと思われます。

だからちょっとした創意工夫から始まり物理学や発明発見に至ったと思います。

しかしちょっとした創意工夫で楽になる・創意工夫して楽しむ程度で止まっていれば良かったのに、意欲的になり過ぎてエジソンの発明やダイナマイトや核物質となりました。

然るに過ぎた特別になるとその弊害副作用も大きくなるのです。

だから快適便利なスイッチポンの時代となって自然界も人間界もヘンテコになりました。

ちなみに私は学識学歴が劣ることからして創意工夫をしても大したことになりませんが、その創意工夫する楽しさ喜びは十分味わってきましたし、たぶん死ぬまで続くことでしょう。

ちなみに自己拡大中の世間的な生活をしている中でも創意工夫しながら暮らしていましたから、その楽しさ喜びも十分に味わってきました。

そして今の世間や家族から離れた月額五万円の年金過疎地暮らしの不便で貧乏な生活の中でも創意工夫する楽しさ喜びを味わっています。

ところが創意工夫の中にもカッコよく見せかけるために余計なことや無駄なことになった事柄が過去にありましたから…今や食って寝て糞をしながら生きているだけのようになりました。

然るに必要最低限の創意工夫となっています。
ちなみにボロ着を如何に長く着こなすかの工夫、面倒くさいことをしないための簡単便利な工夫とか、今ある器具や道具を有効利用する工夫とか、暇な時間を如何にして過ごすか等の工夫です。

そして行き着くところまで味わい尽くしたことで気付いたのが…人間は面倒くさいことはしたくないという本音があることです。

だから時には生きていることさえ面倒になることがあります。

しかしそれを隠した偽善で生きているのが人間とも言えます。

そこでグーたらの事例として何度も書いているのが…
野生のライオンのように狩りをして食欲を満たしたら木陰でグーたらしているほうがお利口さんだということです。

だから親のすねをかじりながらのグーたら生活でも、また世間に出ることが面倒で煩わしくて最低限に控えた生活でも、またサイレントテロと言われる暮らしぶりでも、またホームレスとなっていても…最も肝心なのは…肉体や感情体から離れた精神体の有様なのです。

そして見栄や世間体やのプライドの有無が決め手にもなっています。

然るに私にはプライドなんか無いと言っていても本能の欲からして隠して持っているのです。
…人間は元からして偽善者なのです…

ちなみに私も偽善者だから…その偽善となることをどんどん減らしながらも…
しかしグーたら生活の暇から逃げるために必然としていないところの草刈をしたり、牛舎のオーナが飼っていた年老いた鶏を引き取り面倒を見たり、山奥に捨てようとしていた猟犬を引き取り面倒を見ているし、必然ご縁からして物々交換が如くの人間関係を続けているし、雨でも降れば一円パチンコにいくことがあります。

然るに…ライオンが如くにグーたらしていたのにグーたらしきれないのも欲があるからです。

また人間関係から離れているだけに自然界の変化刺激とは別格な人的変化刺激に乏しくて人恋しさが出てくる時があります。

しかし欲張ればどうなるかの結末を自覚認識し確信納得となっている精神力からして…欲に拘り執着する<役張り>にならずにして事無く終わっているのです。

然るに精神力に結果が掛かっているのです。

だから何を意識して暮らしているかの意識力にもなるのですが、ところが不変の意識力とはなっていません。

そこで世間や身近な人間関係に惑わされたり巻き込まれないためにも人里離れた過疎地が私にはお似合いなのです。

何はともあれ…人間ならば様々な感情が出てくるし未熟な精神からして迷い惑わされることにもなります。

それゆえに…欲張らない実践しかないと書き続けているのです。