神が宇宙を創造したのか、宇宙が神を創造したのか、と論争しても…卵が先か鶏が先かのイタチごっこになりますから…ブログでは「元からあった」としています。
そして元からあったことを天地創造の完全なる宇宙・神・愛の仕組みとしています。
また元からあったということは(求めたわけではありませんから)宇宙から与えれた愛、神から与えられた愛ですから…
元からあった身近な自然界も…宇宙・神から与えられた愛の見える姿形になります。
然るに宇宙・神・愛の仕組みからして万物が創造されましたから、その万物も宇宙であり神であり愛となります。
ゆえにすべては愛となります。
だから宇宙・神・愛の仕組みから創造された人類も宇宙の生命体であり神意識であり愛意識の人となります。
ところが人間意識の中に「思い」考えることができる能力が備わっていますから…
ちなみに人間が見た他の人間を…己独自の「思い」でもって見ることになります。
となれば他の人間が宇宙・神・愛ではなくなり…己が思いながら見ている一個の人間になります。
しかもその個人の姿形や行動を(己の思いでもって)良い悪い・善悪損得優劣の矛盾で判断し差別していることでしょう…
だからこの世人間界が矛盾する思い意識と差別に思う意識に満ちているのです。
…矛盾意識&差別意識…
となれば…原因と結果が同じですから…矛盾意識の人間が思い考え創作したものにも矛盾する結果が出てきて当然となります。
ところが良い悪いで判断し差別しなければ万物が宇宙・神・愛になります。
となれば…好き嫌いの思い感情で差別判断することもなくなり、当然ながら否定反発排除したり束縛制限支配することもなく…全てが自由平等となり調和に満ちた平和な世界となります。
ところがしかし…良い悪いで判断する矛盾意識は生まれながらにして持っているからには、それを無くすることは絶対に無理なのです。
そこでブログに書いているように…
ただ食って、ただ寝て、ただ糞をしながらにして、ただ生きているだけで100点満点と納得満足となれば…あれこれと良い悪いで判断する必要も無くなるのです。
また人間が持つ欲が出てもそれに拘り執着しなければ欲張ることにはなりません。
然るに欲が出ても…その思いだけで終わりますから、その結果が出ることにはなりません。
となれば尚更に良い悪いで判断することにつながりませんし、当然ながら欲張る事さえ次第に消えていきます。
然るに宇宙の愛・神の愛・自然界の愛に満たされた生活で満足納得していれば…矛盾に満ちた愛の無い巷の人為人工的な諸々が次第に必要無くなります。
そして自然界と仲良く暮らすための創意工夫でもって生きていくことになります。
ところがどっこい矛盾する思い考えで判断する人間同士が接し触れ合えば当然ながら矛盾と差がある不確かな判断となり、どっちもどっちの中途半端になるのに…
ところが誰もが私が正しいの思いをしっかり持っていますから…
そこで同じ思いのもの同士が集まったり、逆に反発するもの同士が集まることにもなります。
然るにそれが原因からして喧嘩や抗争や殺傷事件や集団自殺になったり、また一揆集団や維新革命や聖戦戦争にも発展していきます。
何はともあれ…食って寝て糞をしながら生きていることを味わうだけなら・良い悪いの思い判断を挟まなければ…苦と楽の喜怒哀楽を味わうことなく…心静かに生きていくことになり、その生きている値打ち価値を十分に味わえ満足納得します。
そして元からあったことを天地創造の完全なる宇宙・神・愛の仕組みとしています。
また元からあったということは(求めたわけではありませんから)宇宙から与えれた愛、神から与えられた愛ですから…
元からあった身近な自然界も…宇宙・神から与えられた愛の見える姿形になります。
然るに宇宙・神・愛の仕組みからして万物が創造されましたから、その万物も宇宙であり神であり愛となります。
ゆえにすべては愛となります。
だから宇宙・神・愛の仕組みから創造された人類も宇宙の生命体であり神意識であり愛意識の人となります。
ところが人間意識の中に「思い」考えることができる能力が備わっていますから…
ちなみに人間が見た他の人間を…己独自の「思い」でもって見ることになります。
となれば他の人間が宇宙・神・愛ではなくなり…己が思いながら見ている一個の人間になります。
しかもその個人の姿形や行動を(己の思いでもって)良い悪い・善悪損得優劣の矛盾で判断し差別していることでしょう…
だからこの世人間界が矛盾する思い意識と差別に思う意識に満ちているのです。
…矛盾意識&差別意識…
となれば…原因と結果が同じですから…矛盾意識の人間が思い考え創作したものにも矛盾する結果が出てきて当然となります。
ところが良い悪いで判断し差別しなければ万物が宇宙・神・愛になります。
となれば…好き嫌いの思い感情で差別判断することもなくなり、当然ながら否定反発排除したり束縛制限支配することもなく…全てが自由平等となり調和に満ちた平和な世界となります。
ところがしかし…良い悪いで判断する矛盾意識は生まれながらにして持っているからには、それを無くすることは絶対に無理なのです。
そこでブログに書いているように…
ただ食って、ただ寝て、ただ糞をしながらにして、ただ生きているだけで100点満点と納得満足となれば…あれこれと良い悪いで判断する必要も無くなるのです。
また人間が持つ欲が出てもそれに拘り執着しなければ欲張ることにはなりません。
然るに欲が出ても…その思いだけで終わりますから、その結果が出ることにはなりません。
となれば尚更に良い悪いで判断することにつながりませんし、当然ながら欲張る事さえ次第に消えていきます。
然るに宇宙の愛・神の愛・自然界の愛に満たされた生活で満足納得していれば…矛盾に満ちた愛の無い巷の人為人工的な諸々が次第に必要無くなります。
そして自然界と仲良く暮らすための創意工夫でもって生きていくことになります。
ところがどっこい矛盾する思い考えで判断する人間同士が接し触れ合えば当然ながら矛盾と差がある不確かな判断となり、どっちもどっちの中途半端になるのに…
ところが誰もが私が正しいの思いをしっかり持っていますから…
そこで同じ思いのもの同士が集まったり、逆に反発するもの同士が集まることにもなります。
然るにそれが原因からして喧嘩や抗争や殺傷事件や集団自殺になったり、また一揆集団や維新革命や聖戦戦争にも発展していきます。
何はともあれ…食って寝て糞をしながら生きていることを味わうだけなら・良い悪いの思い判断を挟まなければ…苦と楽の喜怒哀楽を味わうことなく…心静かに生きていくことになり、その生きている値打ち価値を十分に味わえ満足納得します。