孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

痒いところに手が届く人間関係とは何ぞや…

2019年04月12日 | Weblog
日本初のネットワークビジネスから始まり…摩訶不思議な波動を経緯し…霊魂の世界の霊力霊感につながり…
それが新たな完全真理につながりそのブログを書き続けているうちに…その自己縮小の実践が欲張らない実践となり…現在に至っています。

ちなみに完全なる宇宙・神・愛の仕組みからしてこのブログがこの世人間界に登場したことを言い換えれば…
欲張るか否かの選択の時期に到達しているのです。

だから信じるか否かではなく、実践するか否かなのです。

ちなみに根掘り葉掘り書き続けているものの矛盾のない確かな真実事実だけに躊躇したり言い訳正当化して逃げることはできません。

とは言っても事実にして欲張ることをやめた長い経験がなければ…私の実感が伝わらないだけに実践には無理があるようです。

然るに自己縮小となっているホームレスや親のすねをかじっている引きこもりニートやまた街中のニートや山奥ニートにしても…何かと欲張るチャンスがあれば精出すことでしょう…

だから私に宇宙船から全裸の美女が降り立ち微笑んでくれることでもあれば…今の私の生き様が一変する可能性があります。

然るに孤独の自由が寂しい孤独感になれば人恋しさが出てきます。

しかしその人恋しさからして親密な人間関係となれば孤独の自由が失われることを自覚認識し悟りとなっていますから…一時の迷いでもって欲張ることにはなりません。

だから必然ご縁からして人間関係が続くことになっても…拘り執着しないで…痒い所に手が程度の人間関係にして…細く長くご縁が続くように努めます。

然るに欲張るほど拘り執着することなく…ちょっとした必然ご縁の関係で一旦終わるその繰り返しならば問題にはなりません。

だから成り行き任せの…来る者は拒まず・去る者は追わずにして…事無く関係が続けば…腐れ縁が如くの関係が長く続くことになります。

それがどうやら人間関係のキーポイントになるような気がしています。

ちなみにその事例に牛舎のオーナーとの人間関係がありますが…オーナーにとって私の存在は…まさに痒い所に手が届く関係でもって納得満足してくれています。
だから何の問題もなく10年以上は続いていますし、私も居心地がいいので十分に満足しています。

また堆肥を袋詰めにしている関係からして売り物には適しない2号品の堆肥を地元の農家数件に配っている関係でもって季節の産物を頂き、それをまた妻が済む地元に持ち帰って数件に配り喜ばれています。

然るに不慣れな私が無理な農作業をせずにして諸々の農家の産物が手に入っています。
だから痒いところに手が届く人間関係となっているのです。

ちなみにその痒い所に手が届く範囲の人間関係があれば孤独感にはなりません。

だから孤独の自由にして欲張らなければ心穏やかな精神安定にして暮らしていけるのです。