孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私は自然界の中で…地上の天国…を味わっています。

2018年12月08日 | Weblog
数に限りがある有限の世界でもって欲張ることが弱者を虐めることになっている事実を真摯に理解できているでしょうか…
…己の満足のために他の人を犠牲にしている…
…犯罪ではなくても罪作りになります…

真面目真剣にして理解できた人なら…世間に目立つ弱者救済などの取り組みよりも…身近な電気やガソリンなどの省エネや無駄使いなどの小さなことから取り組んでいるはずです。

しかしそんなこと知ったことじゃないとばかりにお金をつぎ込んで楽しく生きることに精出していれば…そんな己の意識が原因からして…そのしっぺ返しを呼び込む罰が仕組まれます。
…その多くが老後や死に様に現れてくるようです…
…しっぺ返しを受けてから後悔しても遅いのです…

…惨めな老後が待っているかもしれません…

ちなみにブログに書いていることは…世間に目立つ国際問題や政治経済教育や伝統文化文明や宗教スピ系などを大がかりに書くことよりも…
私自身が素朴謙虚に小さく生きていることからして…
当然ながら日々経験し気付いた小さな出来事が多くなります。

先日のことですが…車のガソリンが切れかかっているのに軽はずみな判断で何とかなるだろうと…夜間の食品半額セールを狙って買い出しに行くも…帰りの山道でガス欠となり、小雨の降る暗闇の登り坂を一時間以上かけて徒歩で帰宅することになりました。

しかしそれでも楽天家だけに少し後悔するも、少し疲れるものの、よぼよぼの足並みながらも、何とか平然と歩き続け我が家にたどり着けました。

ちなみに…熱いサウナに耐えたのちに解放されると爽快な気分になるような感じでして…誰一人通らない闇夜の中無事に登りつめ我が家に到着したことでほっと一安心したときの気分はなかなか味わい深いものでした。

そして高齢者ながらも他力に容易く依存することなく翌朝にはボトルに入れたガソリンをもってガス欠の車まで下りました。
その(登り下りの往復)を自力でもって当たり前が如くにやれたことが自信にもなり、また足腰が痛むこともなく体調も正常なことで肉体的な自信ともなりました。

また暇だからできることであり、巷の変化刺激から離れているだけに…自力で事無く生きていることの喜びが味わえたのです。

ちなみに日々の雑多も同じようなものでして時には創意工夫した結果が出ることで満足することが多くあります。
…満足に大も小もありません…
ところが大掛かりなことを成して大きな満足となるのは自惚れ慢心の価値観となります。
…だから人に自慢したくなるのです…

ちなみに私は必然ご縁に限られた人間関係ですが…
冬場のサツマイモの保存に米穀のもみ殻を使うのですが、そのもみ殻が不足からして思案している農家の人とご縁があり、さっそく牛のエサにしているカットわらを代用にすることを提案しそれが見事効果が出て喜ばれました。

またドクダミ茶を作っている私の先輩が今度はビワの葉のお茶を作るからと聞かされ、そこで牛舎の近くにビワの大木があるので、その牛舎のオーナーの許可を得て、大木の丸ごと伐採して持ち帰りました。
ちなみに脚立やはしごを使わないで安全に、しかも葉っぱ全部を素早く簡単に収穫できるので喜ばれました。

他にもいろいろとありますが…素朴謙虚に暮らしている地元の人との交流となれば…当然ながら素朴な事例となります。

ちなみに私は県外の人間だけに地元の人に不信感や警戒心があって当たり前なのですが…
ところが私は地元の人よりも貧租な生活をしているし破れかかったボロ着を平気で着ていることからして…
移転当初から不審がられ嫌がれる事無く今も親しく優しく接してくれています。

然るに欲張って生きるよりも、欲張らずにして生きているほうが精神的にも楽だし、人間関係に苦悩することにもならないで済むのです。
…平穏無事に暮らせることは精神的な地上の天国なのです…

追伸:風呂を沸かす薪が山ほどあるも雨不足・水不足からして風呂に入れず、食器を洗うにも牛舎の水を持ち帰る・もらい水の有様でしたが、先日来雨が続き500ℓ貯水タンクに八割ほど溜まったので久しぶりに入浴できました。
…雨に感謝・水に感謝のアリガタサを再認識しました…