孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間は特別ではない→死は特別ではない→命は永遠=特別は一切ない。

2018年12月04日 | Weblog
ちなみに犬も猫も食って寝て糞をしながら本能のままに役割使命を果たすために生まれ生きています。

ちなみに私も食って寝て糞をしながら生きていますが…
自然界に元からしてなかった特別な人為人工的な諸々から離れた自己縮小からして欲張らなくなり…
そしていつの間にやら感情が出てこない生き様になり…
人間関係からも離れることになりました。

また孤独の自由からして・その自力と自信の精神からして・世間的な生老病死が気にならなくなりました。

だから病気と闘わないし、死とも戦わないで、死ぬ時が来たら死ぬ寿命に従います。

また拘り執着や未練がありません…思い残すこともない空白のままに死ぬことになります。

だから山の中で野垂れ死や無縁死で白骨死体で発見されようがまったく気になりません。
…苦しまずにあっさりと死ねることを願っています…

また葬儀法要や仏壇お墓はいっさい無用と家族に伝えています。

その生老病死が気にならなくなった原因の中にあるのが…
結果の人間が終わってもその原因の命意識体は永遠に続くという宇宙の法則・原理原則・完全真理を学び知り納得確信となっているからです。

ちなみに原因となる命意識体が無ければ当然ながら結果も出てきませんから…この世と言われる自然界・万物・人間がいない無の世界になります。

何はともあれ人間は肉体と感情体と精神体でもって成り立っていますが、その中の感情が厄介なことになっている事実があります。
…人間は思い感情を持つ厄介な動物なのです…

だから思い感情でもって人間同士が喧嘩したり戦い殺し合っています。

すなわち思い感情・得手勝手な好き嫌いの・特別な感情に拘り執着しているから人間関係がおかしなことになっているのです。

然るに特別な感情からして正常・普通ではなくなり狂うのです。

だから愛情が狂えば狂気の沙汰に至っています。
…愛情・感情で幸せにはなれません…
…裏が出て不幸になります…

なのに寂しさからして愛情を求めることが定番になっています。

ちなみに自信と自力の精神力がないから他力依存的な愛情を求めることにもなるのです。

とは言っても人様から親切にされると嬉しくなりますが、それは自分に都合が良い時だけです。
…感情は得手勝手なのです…

然るに感情でもって生きていれば狂った人生にもなります。

だから私は(自他共に)感情に束縛制限支配されない生き方の実践にもなり…薄情にも…孤独の自由を選んでいます。
…妻や子らも私の感情から解放されています…

何はともあれ…不完全で矛盾偽善のある人間が良かれと思い考え創作した諸々は…完全なる宇宙・神・愛が創造した自然界に元からしてなかった特別なのです。
…だから裏の狂気の沙汰が出るのです…