孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人為的人工的で特別な自己満足&自慢には人間性を失う=毒=が盛り込まれています。

2016年04月07日 | Weblog
自己満足からして誰かに自慢したくなるのも人間です。
またその自己満足を求めることからして裏の不平不満が出てくる仕組みが人間の中にあります。
だから自己満足することがなければその裏の不平不満は出てきません。

ちなみにブログの世界・ブロガーやテレビ・ラジオに出演しているコメンテーターやそこで紹介される人なども特別な自己満足・自慢できることがあるからです。

ところで良い悪いで判断する不完全意識を持った人間が創作した人為的人工的な諸々の形には同じ不完全で矛盾偽善があると書いていますし、それらには一種の思い込み・自己洗脳や他者洗脳が潜んでいると書いていますが…理解できているでしょうか、

然るに一般的なテレビや映画ドラマや小説から、情報・報道・スポーツから、医科学的開発・発明発見や文化文明・文芸・芸術・音楽絵画陶芸彫刻などからも洗脳的・集合意識的にも影響を受けています。

だから賛否両論・否定反発する者も肯定する者も出るのです。
そして特別に肯定するも否定するもそれが洗脳を受けたことになります。

ちなみに良い大学を出れば幸せになれると思っている学童が八割いると言うのも一種の洗脳・集合意識を受けているのです。

然るに私のような生き様、人為的人工的なテレビ映画ドラマ音楽や諸々の情報から離れた生活や諸々の人間関係から離れた生き様をしていると、それらがいつの間にやら必要なくなりますから、
その人為的人工的な影響・思い込み・洗脳・集合意識の影響をいつの間にやら受けていたことに気付くことにもなります。

ちなみに人間として生きていること、然るに食って寝て糞をして生きていることが本来なら楽しいのが人間です。
だから自慢したくなるような特別な満足&自己満足は必要ないのです。

然るに特別な趣味嗜好娯楽・変化刺激・快感快楽が無くても、元からある自然界の諸々を味わっているだけで楽しいはずなのですが、
ところがその人為的人工的な楽しさは(自然の摂理とは違って)いつでも必要になればそれが手に入り思いが叶うことにもなります。

だから自然界・自然の摂理からして四季折々に与えられるまで待つのでは物足りずにして、そこで人為的人工的・他力依存的な特別な楽しみを追い求めることにもなっているのです。

またそれに飽きてくると人為的人工的にそれ以上の優れた物・変化刺激に富んだ形が商業的・集合意識的(闇意識的)に次々と作り出されますから、尚更に依存的にもなり、更に病み付きにもなり、そして特別大好き人間となり、人間本来の見極め・見定め・人間性を失ってダメにしているのです。

ちなみにウツ症や孤独感を味わう人が増えているのも、また10年後には老人の五人に一人が認知症を患うとの統計的なことが言われているのも…どうやら時代の変化刺激に精神がついていけなくなって(納得できないで=整理できないで)ややっこしい状態・モヤモヤ状態・混乱・錯乱状態・ごちゃごちゃ・無茶苦茶な精神状態になっていると私は推測しています。

ちなみに児童の不登校や引きこもりは(自分の出番が来るまで)(己の個性能力を発揮できるときまで)潜在的防衛本能から守られていると私は推測しています。

然るに変則的な孤独の自由を味わっているとも思えます。

しかも自力自信の無さからして成人しても働きに出ないで「親のすねをかじる」ニート的生活が出来る時代にもなっています。
また食いつぶす親の財産が無ければ国家社会から援助救済される仕組みもあります。

ちなみに孤独の自由を味わえる山奥ニートやBライフ・サイレントテロなる形が実践できるのは他力依存が無くて自力自信の精神力があるからできることです。

そうなると収入が限られていることからして人為的人工的な楽しさが無くても平然と過ごしていると思われますし、それが生きていることが楽しさにつながっていると思われます。

とにかく人為的人工的な特別な楽しさから離れなければ、ただ生きているだけで十分に思えるような感覚・生き様・納得人生にはなれないでしょう。

そして外見では元気そうに見えるが、しかし内部では重度な成人疾患・ウツ症や孤独感や認知症を患う老後になるかもしれません。

然るに世間一般的な苦と楽のある喜怒哀楽の矛盾偽善の積み重ね上塗りの=納得できない人生=老後や死に様で人間人生を終えることになるかもしれません。

何はともあれ自己満足が我が身・精神体・感情体に害を及ぼすだけにとどまらずにして、
(前回に書いたように)自己満足が自慢になり→私は正しいと主張堅持し→仲間が集まり→釈迦やイエスやヒトラーが如くや→オウム真理の如くにもなったり、またそれらが原因からして政変・内紛・民族部族対立・闘争・内戦・テロ・世界大戦となり、それがいつの間にやら原爆投下・核スイッチポンにもなるのがこの世の現実事実なのです。

だから事の始まりの小さな原因を根堀り葉堀り詳細に書いているのです。