孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

良かれと思って何を成せども矛盾偽善の積み重ねになることの事実を知り納得確信することの重要性。

2016年04月28日 | Weblog
良い悪いで判断する不完全意識からして「何を成せども」同じ不完全で矛盾偽善がある結果になり、結果的には無駄な余計なことをしただけになると根堀り葉堀り書いてきましたが、果たして納得確信できている人はいるでしょうか、

ちなみに生きて行く為の日々の生活でごく普通の当たり前にしていることではなくして、
然るに国家社会や人様や夫や妻や子供の為に「良かれ」と思って成す事に不完全で矛盾偽善があります。

然るに「良かれ」と思って何か事を成す事で身近な夫や妻や子供らに都合が良くてそれが喜び感謝になれば「自己満足」することになりますが、
しかしそれが相手に不都合なことだったり、物足りなくて喜ばれなければ、良かれと思った思惑期待を裏切られた結果にもなり、それが原因で「不平不満」の結果にもなり、
然るに何か事を成したことで自己満足にも不平不満にもなる矛盾があるのです。

そして相手の人が喜び感謝した良い場合があっても、それが他の人にとって悪い結果になるという矛盾も併せてありますし、その良かったことが後々都合の悪いことに変わる矛盾もあります。

また自分が「自力」で成さずにして他力で良い結果になったことからして味をしめ、何か事がある毎に安易に「他力に依存」することにもなり、その自力で事を成すことが少なくもなるのです。
然るに自力自信の精神力が欠如した他力依存の弱い精神力にもなるのです。

然るに貧困飢餓や教育不足の人たちをほっとけずに援助救済・指導教育することが良かれとなっていますが、それが良いことにもなるし悪いことにもなる、その矛盾があると書いているのがこのブログです。
何度も書いていることですから省略しますが、その矛盾偽善の諸々を自らが自問自答して納得確信に至ることも重要なことです。

ちなみに誰から何もしてくれずにほっとかれたら薄情に思うかもしれませんが、そうなれば自分のことは自分の自力で事を成すしかありませんから(国家社会や人様の他力に依存しないから)当然ながら己の自力自信で事を成すその精神力が高まり磨かれます。

然るに「ほっとく」「ほっとかれる」ことは己の自力と自信で生きて行くことのできる愛精神につながるのです。
そして何らかの有事や真坂の有事に負けないだけの精神力にもなれるのです。

また頑張らずに・見栄張らずに・欲張らずにして、無理なく自分が当たり前に出来ることだけをして楽ちんに生きているほうが苦楽の矛盾偽善の積み重ねにならずにして、それが自分の心身の為にもなり、また人様のことをほっとけることは(陰ながら)国家社会や人様の為でもあるのです。

然るに特別な何か事を成す事が己の苦楽の矛盾や偽善の原因にもなり、それが人間関係や国家社会に良くも悪くもの矛盾や偽善を及ぼす形にもなっているのです。

とにかく国家社会や人間関係の諸問題が行き着くところの人殺しや戦争の原因は「小さな」不平不満と自己満足の苦楽の積み重ねとその集合意識の拡大が原因なのです。

だから国家社会や人間関係がどうであれ、自己満足も不平不満も無い中間の普通の生活をしているほうが、何の問題も無く穏やかにして生きて行けるのです。

なのに見栄や世間体・プライドからして頑張り欲張りして何か特別なことを成して世間に目立つ存在になりたがっていると、その苦楽の矛盾と偽善の積み重ねになるだけで終わるのです。

然るにこの事実を納得確信しなければ如何なる精神世界に身を置いても無駄であり、しかも余計なことに巻き込まれるだけです。