完全なる宇宙意識・神意識・愛意識の仕組みで創造された人間は完全ですが、ところがその人間意識に良い悪いで判断する矛盾意識を持って生まれ出ています。
然るにその原因意識に矛盾が有ることからしてその結果も矛盾します。
だから人間が創造したものに良いこともあれば悪いこともあり、また良いことが悪いことになったり、悪いことが良いことになったりと、不確かで不完全です。
だから人間が創造した言葉やそれを表す形にも矛盾があり<すべて>が不完全です。
然るに衣食住・名権財、趣味嗜好娯楽、冠婚葬祭・伝統風習・道徳・常識、学識知識教養や医科学、創作芸術、哲学思想、真理、宗教、信仰祈祷祈願、超能力・霊力・念力、ヒーリング・セラピー・カウンセラー、占い運勢など等、
だからこの世で何を成せども矛盾があり不完全で中途半端ですから、一時の気休めや自己満足で終わり、然るに納得確信&悟りに至らないままに同じ繰り返しを続けることにもなっています。
ところが中には納得確信&悟ったが如くに自惚れ慢心の思い込み自己洗脳にして「私は正しい」と主張堅持する者がいますが、しかし何処かしこに矛盾する行動表現がありますから、それを見極めることが出来る人なら惑わされません。
またそれを見極めることが出来なくても、すべての人が不完全意識の持ち主であることは事実ですから、然るにそれら人が集まるところに関わらなければ惑わされることにもなりません。
然るに(自他共に)欲心を隠して世間に目立ち、そして善人が如くにして振る舞い、世の為人の為と偽る偽善者ばかりと言っても過言ではありません。
然るに人が集まるところのその家族や人間関係・仲間関係の中に邪な欲が渦巻いているのです。
しかもそれら他力に頼りたがる弱い心意識の人が大勢います。
然るに学識知識教養が有っても、自らして得た確たる自力や自信の無さが主な原因なのです。
だから諸々の精神世界に関わらずにして質素素朴&謙虚にして自力を多く使って生きている、然るに食って寝て糞をしながらにして生きてそれ以上の過ぎた物&特別を欲しがらないで生きている人のほうが真っ当な精神世界で生きていることになります。
然るに日々雑多の矛盾することに意識が使われて苦労苦悩していることさえも気付かない人が、何で真っ当な精神世界で生きることを選ぶでしょうか、
然るに手取り早くして巷の神懸り奇跡で集まるその集合体・組織団体の仲間になるか、
せいぜい決断決心しても不確かで矛盾のある信仰宗教に依存して入信したり仏門に下ることくらいでしょう。
然るに不完全意識のこの世人間関係からして「どうしようもない」ことさえも気付かないままにして、しかも己さえも「どうすることもなく」ただ無駄で余計な苦楽の繰り返し人生のままにして人間を終えることでしょう。
然るにその原因意識に矛盾が有ることからしてその結果も矛盾します。
だから人間が創造したものに良いこともあれば悪いこともあり、また良いことが悪いことになったり、悪いことが良いことになったりと、不確かで不完全です。
だから人間が創造した言葉やそれを表す形にも矛盾があり<すべて>が不完全です。
然るに衣食住・名権財、趣味嗜好娯楽、冠婚葬祭・伝統風習・道徳・常識、学識知識教養や医科学、創作芸術、哲学思想、真理、宗教、信仰祈祷祈願、超能力・霊力・念力、ヒーリング・セラピー・カウンセラー、占い運勢など等、
だからこの世で何を成せども矛盾があり不完全で中途半端ですから、一時の気休めや自己満足で終わり、然るに納得確信&悟りに至らないままに同じ繰り返しを続けることにもなっています。
ところが中には納得確信&悟ったが如くに自惚れ慢心の思い込み自己洗脳にして「私は正しい」と主張堅持する者がいますが、しかし何処かしこに矛盾する行動表現がありますから、それを見極めることが出来る人なら惑わされません。
またそれを見極めることが出来なくても、すべての人が不完全意識の持ち主であることは事実ですから、然るにそれら人が集まるところに関わらなければ惑わされることにもなりません。
然るに(自他共に)欲心を隠して世間に目立ち、そして善人が如くにして振る舞い、世の為人の為と偽る偽善者ばかりと言っても過言ではありません。
然るに人が集まるところのその家族や人間関係・仲間関係の中に邪な欲が渦巻いているのです。
しかもそれら他力に頼りたがる弱い心意識の人が大勢います。
然るに学識知識教養が有っても、自らして得た確たる自力や自信の無さが主な原因なのです。
だから諸々の精神世界に関わらずにして質素素朴&謙虚にして自力を多く使って生きている、然るに食って寝て糞をしながらにして生きてそれ以上の過ぎた物&特別を欲しがらないで生きている人のほうが真っ当な精神世界で生きていることになります。
然るに日々雑多の矛盾することに意識が使われて苦労苦悩していることさえも気付かない人が、何で真っ当な精神世界で生きることを選ぶでしょうか、
然るに手取り早くして巷の神懸り奇跡で集まるその集合体・組織団体の仲間になるか、
せいぜい決断決心しても不確かで矛盾のある信仰宗教に依存して入信したり仏門に下ることくらいでしょう。
然るに不完全意識のこの世人間関係からして「どうしようもない」ことさえも気付かないままにして、しかも己さえも「どうすることもなく」ただ無駄で余計な苦楽の繰り返し人生のままにして人間を終えることでしょう。