孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

セラピー・ヒーリング・カウンセラーなる者は「やぶから蛇」「ミイラ取りがミイラになる」かも、

2015年02月09日 | Weblog
自分が思うことを自分が思うままにやれば何の問題もありません。
だからそれを人に頼ること事態が間違っているから、それが問題にもなるのです。

なのに自分で出来ることを自分でやらないで人に頼り、その結果が思わしくなかったら愚痴小言・不平不満・暴言暴行で怒りをあらわにする人もいます。

ちなみに私は自分に出来ることを自分なりにやることが好きですから安易に人に頼んだりはしません。

また私が忙しいときに二つのことを同時にやらなければ事が収まらないときに限り、私が難易度の高い手間が掛かることをしながらも別件の手はずを整えたりまた難儀しないで済むようにして工夫しておいてから人任せにしたことは何度もあります。

また難易度が高くて自分には無理に思えたことはその道のプロに頼むか、または諦めて手をつけずにほっときます。

だから若かりし頃からして成る事は成る様になるが、成らないことは成らないままですから、然るに(自己拡大中でも)何事も無かったが如くの穏やかな生活が続くわけです。

ところがそれでも問題に直面するときが何度もありました。
その多くが私に何の問題がなくても身近な人を含めた人様の得手勝手な欲得からして踏み込まれ問題を突きつけられた格好になり、結果的に私が難儀することになる場合です。

と言うことからしても判るように、己の意識が原因から現れ出た事実の自己結果を味わったりまた自己責任を果たしながらの、その独自独歩で生きることに問題がなくても、その中に人様が割り込むことからして私までが巻き込まれることになる、その人間関係に納得できなかったのです。

それが人間人生の精神習得になると言うならば、精神世界に関わっているからにはそれきりの一回だけでも十分納得確信できます。
だからそれを繰り返し味わない方法も必要になるのです。

ところが何度も繰り返されると精神習得どころか過剰な試練鍛錬修行が如くになり、精神力が弱ければ下手するとそれが元で精神疾患になるかもしれません。

だから巷で多くの老若男女が精神を病んで増えている事実があります。
たとえ精神が気丈で今は精神疾患の症状が表に出ていなくても内では疲れ果てているかもしれません。

然るに精神世界を学び知るために関わっている人が精神を患うことになればこっけいな事で矛盾します。

特にセラピーとかヒーリング・カウンセラー等と称しそれを他に施し成している者は精神エネルギーを使っていますし、更に相対する者の苦悩(マイナス)エネルギーを受けていますから「やぶから蛇」「ミイラ取りがミイラになる」その可能性があります。

だから精神世界に関心を示しているからには変なことに首を突っ込む事無く、
また自己満足と不平不満の苦楽の繰り返しで生きることよりも、
然るに欲張らない生き方の実践を始めてみれば如何でしょうか、