孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

この世&精神世界の矛盾&真実を知らずにして、何を知る。

2015年02月15日 | Weblog
私たちが精神世界に関わるとしたならば、概ね宗教に入信入団することになりますが、その志の強い人は俗世間から離れた仏門や教会で仲間と一緒になって精神修行をはじめます。

そんな宗教に馴染めない人や摩訶不思議が好きな人は神業神懸りの超能力や霊力や念力・手かざしなどに興味関心を持つって、それらの集まりに参加したり専門的著書を読破することにもなります。

また一般世間的なことでは冠婚葬祭や先祖供養の時や盆暮れ年末年始の伝統風習に従うときであったり、安産健康安全祈願・入学就職祈願などで、また手かざし・セラピー・ヒーリング・カウンセラーなどで、
また伝統的な茶道や花道や武術などや創作芸術やスポーツの中でも精神世界が語られます。

しかし何度も書いているように、良い悪いで判断するその矛盾意識・不完全意識・個人意識の良いとこ取りしたがるその欲絡みの人間が思い考えて作り上げたものには邪な欲が隠れているから、
そこで善悪損得優劣で比較判断されて差をつけられたり、また天国と地獄・褒美と罰・飴と鞭の使い分けがあったりして、
しかも不確かで矛盾に満ちているから、その嘘も方便や事実とは異なる嘘偽りのインチキ・偽善が潜んで絡んでいたりするわけです。

然るにそれら肝心要の精神世界が不完全で矛盾だらけなのだから、
しかも私たちも同じ不完全意識で矛盾に満ちて生きているのだから、
またこの世人間関係は己の力量では「どうすることも」出来ないから、
然るに全く全体「どうしようもない」わけです。

その「どうしようもない」事実に気付き納得確信できればそれで十分なのですが、それを活かした実践がなければ「絵に描いた餅」同然になるかもしれません。

そこで真の精神世界に関わって人生を全うしたいのなら(俗世間から離れて仏門に下るが如き精神力にして)自力と自信の独自独歩でもって(先ほど書いた)この世にある諸々の欲絡みの他力にあまり頼る事無く、己の自力を多く使いながら何とか生きて行けるだけのことをしながら、質素素朴謙虚に生きながらにして多くを学び知り気付き己の精神を改革修正しながら(玉ねぎの皮をはぐが如くに)磨き清めていくことしか他に道はありません。

然るに不完全意識のままであっても(どうしようもない世の中で)「欲張らなければ」諸々の他力も必要なくなり、その矛盾&喜怒哀楽を味わうことも無く、呑気気楽省エネにしてその自由も味わえるのです。

そしてその先は天地創造の宇宙&神&愛の仕組みに任せるしかありません。

ちなみに完全なる宇宙&神&愛を説く完全真理以外に真の精神世界を説いている形・集合体・組織団体・ブログがあれば教えてください。