孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

楽あれば苦ありで、その楽したことよりも大きな苦労苦痛苦悩を味わう事になるその仕組みがあります。

2014年03月10日 | Weblog
「信じる」ことになれば、それは他力を信じることになりますから、然るに信じて頼れば己の精神的負担も軽やかになりその労力も軽くてすみます。
ところが「不信」となれば反対に己の精神に重く圧し掛かりますし、また己の自力を使う事になればそれだけの労力が必要になります。

となると信じる方が心身ともに楽になるから、その欲心からして「信じたがる」ところが人間にあります。
然るにその欲心からして神を信じて頼りたがるところがあります。

そして楽になるために神を信じるだけでは無くして、楽にして儲けたがる輩や、更に楽になるよと(欲張る)人を誘うことで己が儲けたがる輩までが出没しています。

それとは異なるが身近な親戚兄弟や両親や夫や妻や子供や恋人を信じて頼るところがあります。

ところが信じる裏には不信感がありますから、その信じた結果が出なければ裏切られたと思うようにもなります。
然るに神仏霊魂を信じて崇める宗教信者にも当然ながらその苦楽があります。

またその神仏霊魂を信じて頼ることからしてその信仰宗教の指導者の言い成りに従うところがあります。
然るにその指導者の言うところの悪者を排除したり滅ぼすことの手先に仕立てられてその言い成りになる盲信信者もいます。
然るにそれが人殺しや侵略戦争になった史実が多く残っています。

然るに信じて頼ることで何かと得したことよりもそれを上回る大きな損出になった事実が世界のいたる所に見受けられます。

なのに(未だに)信じて頼りたがるその欲心を無くすることに自らが取り組もうと実践していません。
然るに信じて頼って手っ取り早くその良いとこ取りをしたがるからです。

そして楽あれば苦ありで、その楽したことよりも更に大きな苦労苦痛苦悩を味わう事になるその仕組みがあるのです。
然るに精神世界に身を置いていても他力依存心&信者意識からしてその仕組みの事実に殆ど気付いていないようです。

然るに手っ取り早く良いとこ取りをしたその積み重ねのそのしっぺ返しがもっと大きい事に気付いていないのです。
然るにそれが自然環境の悪化や国家社会や人間関係の危惧になって現れているのですが、それを身近なことで言えば家族関係の崩壊やまた心身の病になって死ぬまで長患いすることにもなるのです。

然るに他力依存からして楽に生きることをやめて、然るに良いとこ取りしたがるその欲から離れていても、己の出来るその自力でもって生きていれば何とかなっていくのです。

その為には見栄や世間体のプライドを捨てることも必要になるのです。
またその為には様々な人間関係の柵シガラミから離れることも必要になるのです。

然るに皆して赤信号を渡ることからして己が抜け出すしか他に道は無いのです。