人間は意識で生きていますから、その意識の中から欲が消えれば、今あるものや今もっているものを十分に味わう事になります。
そして欲が無くなれば、いま有るものを失う事を恐れて守り戦う意識にもなりません。
また欲が無ければ我先に競い合うことも人のものを奪うこともありません。
しかしその欲が「自分さえ良ければ」の個人意識となり、お蔭さまやお互いさまの調和で生きる事を邪魔しています。
すなわち自分さえ良ければの私欲が自由・平等・調和の平和・平穏な生き方を自他共に邪魔しているのですが、それに気付いた人がその欲で生きる事を思い止まり、そしてその欲を脱ぎ捨てた生き方に変われば(実践すれば)、その個人意識やその形であるこの世の裏表・矛盾を実感でもって知る事になり、そこで欲で生きることよりも欲の無い生き方のほうが人生楽チンである事を悟ります。
すなわち欲で生きていることは無理をしていることであり、その無理をして成したことが自己満足であり、それだけにいつまでも続かない不確かなものであって、いつしか水の泡の如くに消えることから、(失いたくない強い思いから)更に無理を重ね続けるが、どんなに苦労を重ね続けても人間には限界がありますから、それらを一生懸命守り戦い維持していても、やがて失い消える事になります。
それが不完全意識のこの世であり、その不完全な人間関係で築き上げている形(個人の思い)ですから、その形あるものは(個人の思いは)変化し続けながらやがて消え失せる仕組み(定め)になっています。
それが世間で言う(個人・職場・地域社会・国家関係の)裏切りや心変わりや偽善関係だったりするわけです。
だから不完全な余計な事を無理して無駄に終わるのです。
だからせめて、その余計な事を無理にしてそれが無駄に終わる事を少なくすることが出来る質素・素朴な生き方に方向転換すれば、少しでも楽チンに生きることが出来て、しかも今まであまり意識していなかったことや宇宙・神・万物の完全な愛を意識することになったりして、それらを実感でもって味わい触れ合い接することが出来るようにもなるのです。
そして不完全意識の人間関係の中であっても、お蔭さまやお互いさまを意識した調和の生き方に変わりますから、自分を偽らず、人を欺かず、否定反発排除の敵対意識や不信感を持たずに、来る者は拒まず去る者は追わずの成り行き任せの自然体でもって(無理の無い)優しさ思いやりのある、真面目で素直な生き方になり、平坦で波風の立たない穏やかな心で生きることになり、そして質素・素朴な生き方だけに金銭物質や人様の他力に依存することが無くり、その分だけ自力を多く使うことにもなり、それが生きる自信にもなり、その自力を多く使うことからも充実した生き方に思える様になることからして過不足の無い安定した生活になっていきます。
ところが世間では、寝る間を惜しんで頑張りなさい、目的・理想・目標に向かってもっと努力しなさい、また苦労は買ってでもしなさい、怠けていると落伍者や負け犬になりますよと、はやし立てられ急き立てられながら、実績や生産性を高めることが善しとされていますから、完全真理を深く理解しての精神力・意識力・実践力・自力・自信が伴わない限り、不完全な形やその人間関係に束縛制限されて、質素・素朴を思い考えながらも実践できないままに終わることになります。
だから毎度のことのように書いていますが、嘘偽りも無く、信じるか否かも無い、矛盾も妥協も無い、完全な「完全真理」をより深く学び知ることが先決になるのです。
そして大元の宇宙・神が創造した今の宇宙や地球や人間や万物が絶え間なく変化・進化し続けているのと同じように、今の地球で完全意識と不完全意識の裏表・矛盾を学び知った宇宙初の人間の命・意識が、これまた同じように、新たに変化・進化した地球で同じように変化・進化を遂げることになるのです。
それを判りやすく例えれば、形ある「氷」が溶けて<水>になるような変化・進化が起こり、更に新たな地球でその「水」が<空気>のように変化・進化することになるわけです。
そして欲が無くなれば、いま有るものを失う事を恐れて守り戦う意識にもなりません。
また欲が無ければ我先に競い合うことも人のものを奪うこともありません。
しかしその欲が「自分さえ良ければ」の個人意識となり、お蔭さまやお互いさまの調和で生きる事を邪魔しています。
すなわち自分さえ良ければの私欲が自由・平等・調和の平和・平穏な生き方を自他共に邪魔しているのですが、それに気付いた人がその欲で生きる事を思い止まり、そしてその欲を脱ぎ捨てた生き方に変われば(実践すれば)、その個人意識やその形であるこの世の裏表・矛盾を実感でもって知る事になり、そこで欲で生きることよりも欲の無い生き方のほうが人生楽チンである事を悟ります。
すなわち欲で生きていることは無理をしていることであり、その無理をして成したことが自己満足であり、それだけにいつまでも続かない不確かなものであって、いつしか水の泡の如くに消えることから、(失いたくない強い思いから)更に無理を重ね続けるが、どんなに苦労を重ね続けても人間には限界がありますから、それらを一生懸命守り戦い維持していても、やがて失い消える事になります。
それが不完全意識のこの世であり、その不完全な人間関係で築き上げている形(個人の思い)ですから、その形あるものは(個人の思いは)変化し続けながらやがて消え失せる仕組み(定め)になっています。
それが世間で言う(個人・職場・地域社会・国家関係の)裏切りや心変わりや偽善関係だったりするわけです。
だから不完全な余計な事を無理して無駄に終わるのです。
だからせめて、その余計な事を無理にしてそれが無駄に終わる事を少なくすることが出来る質素・素朴な生き方に方向転換すれば、少しでも楽チンに生きることが出来て、しかも今まであまり意識していなかったことや宇宙・神・万物の完全な愛を意識することになったりして、それらを実感でもって味わい触れ合い接することが出来るようにもなるのです。
そして不完全意識の人間関係の中であっても、お蔭さまやお互いさまを意識した調和の生き方に変わりますから、自分を偽らず、人を欺かず、否定反発排除の敵対意識や不信感を持たずに、来る者は拒まず去る者は追わずの成り行き任せの自然体でもって(無理の無い)優しさ思いやりのある、真面目で素直な生き方になり、平坦で波風の立たない穏やかな心で生きることになり、そして質素・素朴な生き方だけに金銭物質や人様の他力に依存することが無くり、その分だけ自力を多く使うことにもなり、それが生きる自信にもなり、その自力を多く使うことからも充実した生き方に思える様になることからして過不足の無い安定した生活になっていきます。
ところが世間では、寝る間を惜しんで頑張りなさい、目的・理想・目標に向かってもっと努力しなさい、また苦労は買ってでもしなさい、怠けていると落伍者や負け犬になりますよと、はやし立てられ急き立てられながら、実績や生産性を高めることが善しとされていますから、完全真理を深く理解しての精神力・意識力・実践力・自力・自信が伴わない限り、不完全な形やその人間関係に束縛制限されて、質素・素朴を思い考えながらも実践できないままに終わることになります。
だから毎度のことのように書いていますが、嘘偽りも無く、信じるか否かも無い、矛盾も妥協も無い、完全な「完全真理」をより深く学び知ることが先決になるのです。
そして大元の宇宙・神が創造した今の宇宙や地球や人間や万物が絶え間なく変化・進化し続けているのと同じように、今の地球で完全意識と不完全意識の裏表・矛盾を学び知った宇宙初の人間の命・意識が、これまた同じように、新たに変化・進化した地球で同じように変化・進化を遂げることになるのです。
それを判りやすく例えれば、形ある「氷」が溶けて<水>になるような変化・進化が起こり、更に新たな地球でその「水」が<空気>のように変化・進化することになるわけです。