孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

衣食住を極めることよりも、今に満足して今を生きる、そこに喜び感謝(愛)がある。

2010年06月10日 | Weblog
人間は良いと悪いの矛盾の世の中で生きていますから・・・満足と不満が同居しています。
そして・・・満足が無ければ不満を持つ事になりますが・・・満足があれば不満が出てこなくなります。

すなわち・・・本当に満足を味わい知ればそれで満ち足りていますから、それ以上の満足を欲しがったりしません。
また・・・別な形の満足を欲しがったりもしません。
また一度満足したものが壊れたり失われることになっても・・・一度満足を味わい知っただけ十分ですから・・・それに拘り・未練執着を持つことにはなりませんから・・・不平不満・不安心配・怒りを持つことにはなっていきません。

ところが・・・一度の満足で止まれないのは・・・それは価値観・格差・特別を追い求めた結果の「自己満足」だからです。
・・・その自己満足は一時の満足で終わりますから・・・心が満たされることにはなりません。

その満足を手軽に味わえる形に趣味嗜好娯楽がありますが(それらが無くても人間は生きていけることからして)・・・それらには良いと悪いで差を付けたがる比較競争・差のある「特別意識」にもなりやすいし、自分の思い通りになって満足することもあるが反対に思い通りにならなくて不満にもなるという矛盾があることからいえば・・・裏と表のある不完全な満足、己の特別意識を味わうことになる自己満足になるのです。

すなわち・・・満足を味わい知っていれば不満を持たなくてすむが、その満足が少なくて自己満足が多い人は(その分だけ)不平不満を持っているということになります。
その不平不満を自己満足で一時消し去ることが出来ても、(満ち足りた満足を知らない限り)必ず不平不満が次から次と出てきます。
だから現実から言えば・・・自己満足で誤魔化していても・・・生きていることが喜び感謝の楽しいものにはなりません。
・・・楽しくないから不平不満を持つことになり、不平不満があるから楽しく生きられない・・・原因と結果は同じなのです。

その不平不満が原因となって・・・責めたり、怒ったり、不安心配や恐怖を持つことにもなり、(生きている楽しさよりも)生きていることが苦悩になるという生き方にもなります。
だから過去未来を気にしすぎたり(未練執着)、喜怒哀楽や生老病死で感情を酷使したり、先々の不安心配で枕を高くして眠れない日が続くことになります。
そこでやっぱり・・・身近に味わえる趣味嗜好娯楽・生活様式・衣食住に関ることでの自己満足に逃避するしかありません。
だから・・・自ずと生活経済優先の生き方になっていき、肝心な心の安定から更に遠ざかった生き方になっていくのです。

すなわち(自己拡大で)・・・衣食住や趣味嗜好娯楽を極め、財を成し、名誉名声・権威権力を持ってしても・・・己の不平不満・不安心配・怒りや恐れの苦悩からは・・・絶対に「逃れない」のです。
そんな無駄なことに(この世の形に)・・・生き甲斐を見出すことは・・・ すなわち満足を味わい知り今を生きることから「逃避」して・・・自己満足だけが頼りの苦悩に満ちた生き方・人間関係の崩壊・地球破壊・・・すなわち人間であることを放棄した「自滅への道」を選択していることになるのです。

この世のすべての問題は・・・(良い悪いで比較判断したことが原因の)不平不満の心・意識から始まっていることをしっかり学び知れば・・・自ずと自己縮小が進み「心が安定」してきます。