孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

思惑・理想・目的を持って捜し求めた満足は「自己満足」になり、止まることが出来ません。

2010年06月16日 | Weblog
人間は意識で生きている命ある意識体ですから・・・その意識の有り様でどうにでもなります。
例えば・・・美味しい物を食べていたり、楽しい娯楽施設でいたり、音楽芸術に親しんでいたりして、それらの趣味嗜好娯楽に興じていても・・・何か不平不満を思っていれば・・・その意識が邪魔をして楽しさや喜びが十分に味わい切れません。

また、楽しさや喜びを「求めて」出向いた場合は(思惑・理想・目的を持っていれば)・・・概ね予測していた通りになったことで新鮮さや意外性に欠ける事になったり、それらが持つ真の楽しさや喜びが奥深く十分に味わえなかったりするし・・・反対に期待に反したことがあれば不平不満を持ち帰る事にもなったりするし・・・また理想目的を達しただけの自己満足で終わったりしますから(満足し切れないままに終わり)、その結果が良ければよいほどに(その良いとこ取りをしたくて)何度でも繰り返し味わいたがることになり・・・(止まることが出来ないで)更に拘り・未練・執着を持つことにもなっています。
・・・それが「この世」の現実(進化発展が地球人類の破壊崩壊)に現われています・・・

だから・・・趣味嗜好娯楽は自己満足になりやすく、拘り・未練・執着することにもなっているのです。
ところが・・・(止まる事無く)いくら続けていても・・・極めきれないことや味わい切れていない(満足し切れていない)繰り返しから(不平不満から)自信喪失になったり興ざめしたりして・・・また別な新たなことを捜し求めることにもなります。
・・・過去の私がまったくその通りでした・・・ 現在は今の過疎地の田舎暮らしに十分満足していることから・・・衣食住や趣味嗜好娯楽を極める必要性がどんどん消えています。

ところで・・・現在は肉牛の餌やりのバイトをしていますが・・・単純作業の繰り返しであり、それが仕事だけに(犠牲が伴うので)・・・その作業に喜び楽しさがあるとは言い切れませんが・・・特に不平不満はありません。
と言うのも・・・その一年前までは・・・まったくの生産性の無い日々を如何に活かすかだけの暇で退屈していた8年間があっただけに・・・今の生産性のある仕事に従事できている喜びや楽しさがありますから、その感謝の心を仕事に向けることが出来ています。

しかも・・・不平不満がなければ・・・いつも微笑み笑顔で接することが出来ますから(相手に不信感・不調和を与える事にならないから)、その接する相手側からもしぜんに笑顔が出てくる場合が多く見られます。
だから(私が)入院治療介護を受ける事になっても・・・その(私の)有事に対して不平不満・不足を持つのでは無くて・・・人様のお陰で治療介護を受けられることに喜び感謝の意識があれば、その意識が相手の意識にも当然ながら通じますから・・・その意識を出す方も受ける方も互いが満足し合える快い関係になり・・・(私の)治癒回復が早まるだけではなくて・・・関係者自身の役割仕事に自信が出てきたり、その仕事の楽しさや喜びに目覚めることにもなるかもしれません。

その反対に不平不満を持っことで・・・損得で言うところの「損」・・・すなわち不平不満が原因で不安心配・苛立ち・怒り・恐怖などの苦悩を持つことにもなっているし、しかもそれが原因で制裁復讐仕返し意識や正義聖戦の戦争やテロなどの破壊意識を持つ事にもなっているのですから・・・損になっても「得」にはなっていません。
★「注」★・・・良い悪いで判断して・・・自分に都合が良い「良いとこ取り」をしている人間が・・・わざわざ何んで「損」することになる不平不満を持つことになるのか?変に思いません!・・・

それは・・・過去の不平不満を正当化・主張して・・・その過去の損を補うべき(代償を得る)「得」をするための行為行動・意識が・・・更に損を積み重ねる事になっていることにまったく「気付」いていないのです。
すなわち・・・自分の目先のことを大事に思いすぎて、そのことに意識が縛られているから・・・更に損をすることになっているその結果にまったく気付けないでいるから・・・★(他を巻き込んでまで)自分が「損」をしていると思えていないのです。

すなわち・・・その過去の損を取り返そうとしていることが自分の「得」になると・・・思い違い・錯覚勘違いしているのです。
すなわち(良いとこ取りしたがるように)・・・自分が善悪の善、優劣の優、損得の得に思いたがるのと同じく・・・(正当で優位な得をしたい立場を主張したがるように)・・・「私は正しい」の差別意識・特別意識を「自己主張」(顕示・誇示)することで・・・私は「善を成し、優れたことを成し、得を積み重ねている」と自惚れ自己満足しているだけなのです。

だから・・・不平不満を持ったり解消することが・・・地球・人類・自他共に損害になることに気付き納得・悟れば・・・必ず自己縮小が始まります。
だから完全真理に接し触れて実践しているつもりでも・・・何かと不平不満を持つようでは・・・特別意識・差別意識を無くしていく自己縮小が進んでいない事になります。

また、その不平不満を持たなくする自己縮小が進まなければ・・・喜怒哀楽や生老病死を意識することにもなり・・・その良いとこ取りの喜びや楽しさ満足を捜し求めることにもなりますが・・・ その良いとこ取りで捜し求めた形(思惑・理想・目的)から得た満足感は(あるがままに与えられたものではないだけに)自己満足になります。

その・・・あるがままに与えられるまで待つ・・・その自然体・真理を実践していなければ本当の満足を感じることやその気付きが起こることには無理があるようです。

だから・・・衣食住・趣味嗜好娯楽を追及して極めたり、財を築くことや名誉名声・権威権利を得るために伴う不平不満や不安心配・怒りなどの苦悩を味わいながら生きることよりも(人間関係の崩壊や地球破壊に進むことよりも)・・・
その不平不満を持つことから(自己縮小して)卒業して、今に満足してその日々を明るく楽しく生きることからして・・・人類史上初の自由・平等・調和のある世界、新たな意識・命の人間・地球に成るのです。