孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

失うべきものを失ってから、新たな喜び感謝に気付き・意識改革が起こるのかも知れません。

2010年06月25日 | Weblog
田舎暮らしに反発して街中に居残る妻が住む築40年を超える家屋を壊して、その更地にオール電化の二世帯住居を新築して妻と娘夫婦の家族が一緒に暮らすことになりました。
その引越し準備で整理していると、(職業として経営していたビデオ撮影制作機材を含め)二度と使わないであろう過去の遺物が出るわ出るわで、時代の流れとはいえ、過去の物質経済優先主義で上を目指していた頃の当時を思い起こして、再度悔い改める事になりました。

その家屋解体業者と立ち会う形で現場でいると、通りがかりの廃品回収業者が来て許可を求めてきたので快く応じ、その様子を見守る形にもなったわけですが、その汚い臭い危険な解体現場で動き回るその様子が何か楽しそうでもあるし、取り組む意識は集中しているので、(世間では卑下されそうな廃品回収に)何故そんなに意識・自信を持って取り組めるているのかが知りたくなり、その休憩中に私の甥を含めた三人が現場で話をする事となりました。

背丈・体型や顔形も申し分なくて幼い頃に生活苦を味わった様でもないその40代独身の廃品回収業者が言うことに・・・今の仕事は(実際に自分がやってみたら)有り余る物を持ちすぎた人や反対に物が不足している人の両方から喜ばれることもあって、職業に対する世間の見下し偏見が気にならないばかりか己の見栄や世間体を気にしなくなったし、自由業だから組織・形にあまり束縛されないので自由気ままに気楽にやれるし、収入の面でも満足しているので(それに比べれば)若い頃にやってた様々なことが如何にバカばかりしてきたのか、それに気付くことが出来たと自信ありげに言い切りました。

その話を聞いている50代独身の甥も廃品活用が趣味のようになっているし、70歳に近い単身田舎暮らしの私も含めて今は同じようにぼろを着てぼろな軽四を乗り回してはいるが、その過去の若い頃は上を目指してバカばかりしてきたと悔い改めている関係から言えば、三者三様に似た者同士が集まったことになりました。

ところで今も上を目指している人も大勢いるとは思いますが、その上を目指さなくなれば下降していくことになるのが今の競争社会であり、また今の立場・現状維持を守るにも・・・失うものを守ろうとすることは闘うことでもあるから・・・いずれにしろその限界があって相当な無理や諸々の問題が伴うことにもなるのです。

だからどんなに上を目指していても、その能力・財力・年齢や身体・健康状態やの限界があるからには、いつかは止まる事になります。
その止まる事になった多くの原因にあるのが、怪我や病気や失業倒産・財政難や災害や事件や老後や死に目に会うなどの「有事」のときが多いのです。
すなわちどんなに頑張っても今の世情・社会や世間や家族やで頻繁に起きている、あらゆる状況事実がやがて「自分」の現実事実になるのは明らかなのです。

そして遅かれ早かれ(人それぞれに違いがありますが大差はありません) その止まる事になったときが未練・執着・後悔するときでもありますが、そこで此れまでの生き方を悔い改めることが出来れば、終わり良ければ全て善しとなるのです。
その悔い改める年代が若いほどに苦悩が少ない心の安心・安定の生き方生活が早く味わえるのです。

しかし止まる事になればやがて下降していきますから、(大方の人は)それが不平不満の不足になり未練執着後悔することにもなり、それが(諦めきれない)原因で更に(金銭的にも肉体的にも)不安心配となり、苛立ち・怒り・恐怖を持つことにもなります。

しかし先ほどの三者三様のように上を目指すバカらしさに気付いたときは(悔い改めたときは)世間的には下降していて既に失うものを多く失っていることから・・・「無料のゴミが宝の山にもなるように」「不用品を再利用したり、故障欠陥を修繕加工修理して使い切る喜びが味わえたり」「暇と退屈さを解決するための単純作業や仕事を実際にやったことから、それが面白く楽しくもなり、それで収入が得られる喜びを知るように」・・・新たに気づき「得る」ことが増えてきます。

また見栄や世間体やしがらみを気にしなくなったことから得る今まで味わったことが無いような自由・気楽さであったり、失うものが無くなっただけに不安心配・不信感も出てこなくなったり、人目を気にしないで済む安堵・安心であったり、失ったものに対して未練執着後悔しないですむ穏やかな平常心・安定であったり、また己に自由があることから束縛制限・比較競争の差別意識も特別意識も次第に薄れていくので人目をはばかる事無く自分の出来ることをやるだけになりますから、無理も無く、問題も無く、その自分がやっている事に自信も喜びもあることから人の為にも十分に働けるし、それから得る収入や人様の喜び感謝を感じ得る確かな喜びもあったりして、今までのような上を目指して得た欲の満足・自己満足とは違った確かな満足を得た生き方を味わえるのです。

だから・・・欲を出して上を目指すことでもなく、途中で止まり維持・守り闘うことでもなく、失うべきものを失ってから(それらが必要なかった事に気付くことから)今で知らなかった新たな喜び感謝に気付き・意識改革が起こるのかも知れません。