「命」はありがたいものです。
人間が生きていると肺呼吸で窒素を出していますが、その窒素は植物のお役に立っています。 その植物を食べて動物が育ちます。 その植物や動物を人間が食べれば排便をしますが、その排便は微生物のお役に立っています。 その微生物がいなければ地球に生命は存在していません。
単純な植物連鎖とか弱肉強食とは違い、すべての「命」はありがたいものです。
だから人間が着ている衣服や住居など生活に必要なものは他の生命から奪って作られたものですから、それらの保存育成、生命を慈しみ育てる環境を整える必要があります。 奪えば奪うほど、その調和の為に大切に育てなければなりません。
ところが感謝の心も無いことから更に著しく調和が乱れている状態が現在にあります。 特に弱いものいじめの弱肉強食の資本主義・経済主義の競争意識に原因があります。
そして人間が欲しがっている趣味嗜好娯楽・刺激や名誉名声や権威権力は人間だけの自己満足だから、結果的には宇宙・地球・命・愛から奪っての無駄な浪費を拡大しているだけであり、それで色んな依存症や弊害が出てきたり、比較競争差別意識から世情に混乱を招いています。 だから宇宙・地球・命・愛に迷惑をかけているだけで何のお役にもなっていません。
また人間が自分勝手に作った神を神と崇めている人が大勢いるから、その人為の神、私の神である偽りの神の力比べ、比較競争・勢力拡大・侵略侵攻による混乱から何度も何度も悲惨な結果を歴史に残しています。 それでも懲りずに今も続いています。 そんな馬鹿げたことを平気でやっているのに「私は正しい」正義だと、まだ言い張って続いています。
それが俗に言う偽善者・救世主ですから、それらが神・命・愛を教え語ることで更に世情に混乱を招いています。
宇宙・地球・命・愛のお蔭で人間が生きているのに、なんで宇宙・地球・命・愛を大切にしないで奪うことばかり続けるのでしょう、なんで宇宙・地球・命に役立ちもしないことに一生懸命になるのでしょう・・・それが「我神なり」を忘れた人間、自分さえ良かったらの個人意識で生きているのです。
だから個人意識を無くしていかないと不平不満・不安心配・悩み・怒り・嫉妬・ジェラシーを持つことになり、その原因である自分の意識が招いた結果で自他共に困ったことになるだけです。 自分の中に原因があるのに、それを何かと他の性・責任にするのも個人意識ですから、表の自力で生きようとしていないから裏の他力が気になります、そして表と裏の分離意識、良い悪いの比較競争差別意識を持つことになります。
あたり前の普通には(自分に出来る)自力であるがままに生きていますから、他と比較競争することはありません。
比較競争で過ぎた衣食住や肩書き権威権利財力を求めて生きようとするのか
普通の自力で無理なく安心安全に生きながら心を豊かにしていくのか
どっちでもない矛盾や妥協で中途半端に生きるのか
いずれを選んでも必ず結果は出ます。原因と結果は離れていません。
そして結果は必ず後からついてくるものだから、結果が出て気付いたのでは・・・あとの祭り・・・ですから、そうならないように(後悔しないように)気をつけたいものです。
人間が生きていると肺呼吸で窒素を出していますが、その窒素は植物のお役に立っています。 その植物を食べて動物が育ちます。 その植物や動物を人間が食べれば排便をしますが、その排便は微生物のお役に立っています。 その微生物がいなければ地球に生命は存在していません。
単純な植物連鎖とか弱肉強食とは違い、すべての「命」はありがたいものです。
だから人間が着ている衣服や住居など生活に必要なものは他の生命から奪って作られたものですから、それらの保存育成、生命を慈しみ育てる環境を整える必要があります。 奪えば奪うほど、その調和の為に大切に育てなければなりません。
ところが感謝の心も無いことから更に著しく調和が乱れている状態が現在にあります。 特に弱いものいじめの弱肉強食の資本主義・経済主義の競争意識に原因があります。
そして人間が欲しがっている趣味嗜好娯楽・刺激や名誉名声や権威権力は人間だけの自己満足だから、結果的には宇宙・地球・命・愛から奪っての無駄な浪費を拡大しているだけであり、それで色んな依存症や弊害が出てきたり、比較競争差別意識から世情に混乱を招いています。 だから宇宙・地球・命・愛に迷惑をかけているだけで何のお役にもなっていません。
また人間が自分勝手に作った神を神と崇めている人が大勢いるから、その人為の神、私の神である偽りの神の力比べ、比較競争・勢力拡大・侵略侵攻による混乱から何度も何度も悲惨な結果を歴史に残しています。 それでも懲りずに今も続いています。 そんな馬鹿げたことを平気でやっているのに「私は正しい」正義だと、まだ言い張って続いています。
それが俗に言う偽善者・救世主ですから、それらが神・命・愛を教え語ることで更に世情に混乱を招いています。
宇宙・地球・命・愛のお蔭で人間が生きているのに、なんで宇宙・地球・命・愛を大切にしないで奪うことばかり続けるのでしょう、なんで宇宙・地球・命に役立ちもしないことに一生懸命になるのでしょう・・・それが「我神なり」を忘れた人間、自分さえ良かったらの個人意識で生きているのです。
だから個人意識を無くしていかないと不平不満・不安心配・悩み・怒り・嫉妬・ジェラシーを持つことになり、その原因である自分の意識が招いた結果で自他共に困ったことになるだけです。 自分の中に原因があるのに、それを何かと他の性・責任にするのも個人意識ですから、表の自力で生きようとしていないから裏の他力が気になります、そして表と裏の分離意識、良い悪いの比較競争差別意識を持つことになります。
あたり前の普通には(自分に出来る)自力であるがままに生きていますから、他と比較競争することはありません。
比較競争で過ぎた衣食住や肩書き権威権利財力を求めて生きようとするのか
普通の自力で無理なく安心安全に生きながら心を豊かにしていくのか
どっちでもない矛盾や妥協で中途半端に生きるのか
いずれを選んでも必ず結果は出ます。原因と結果は離れていません。
そして結果は必ず後からついてくるものだから、結果が出て気付いたのでは・・・あとの祭り・・・ですから、そうならないように(後悔しないように)気をつけたいものです。