ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

ジーニアスの記憶

2023年02月22日 | プロレス・格闘技
さらば武藤敬司。さらばNOZAWA論外。さらばシャンシャン。

その武藤の引退試合@東京ドームは、
武藤が蝶野のSTFや橋本の袈裟切り・DDT、三沢のエメフロ、
そして武藤&東京ドームと言えばコレという
ドラゴン・スクリューからの足4の字を繰り出す「絵巻物プロレス」を展開。
対する内藤も掟破りの足4の字や閃光魔術を見せた末にデスティーノで「介錯」
・・・と思いきや、武藤がゲストの蝶野を呼び込んでのエクストラ・マッチも。
盟友でもライバルでもあった蝶野のSTFを全身で受け止めて幕となった。

というワケで、本日はリングを去るジーニアスの記憶を語る。
最も強烈な記憶と言えば、上記の「ドラスクからの足4の字」
復権させた95年10月9日の高田延彦戦@東京ドームになる。
札幌から飛行機代を費やし、2階席から生観戦した。
当時の「新日本対Uインター」には、そのカネと労力に値する熱気も見る甲斐もあった

「3カウント決着では『新日本のルールだから』と言われる」
「絞め技・関節技の決着では『新日本のスタイルを捨てた』と言われる」

武藤がどんな手で言い逃れを許さぬ勝ち方をするのかと
謎解きの種明かしを見る気持ちで見ていたら、

幻の技になりつつあったドラスクから
アメリカン・プロレスの象徴にして古典技の足4の字で決着

「その手があったか!」と思わずヒザを打った記憶がある。
この二つの技を観客が沸くコンビネーションに昇華した功績は今なお大きい。
「足4の字はつなぎ技じゃなくて必殺技なんだ」と
力説していた生前のデストロイヤーもさぞ喜んだと察する。

武藤と言えば、数々の名言も忘れ難い。
ワタシのベストは02年2月26日に全日本に移籍した時の言葉。

「全日本プロレスに骨の髄までしゃぶっていただきたい」

武藤曰く「骨を埋める覚悟で」の言い間違いだったらしいが、
もしもそちらだったら、それこそ埋もれていただろう。
「骨を埋める覚悟で・・・」の場合、全日本が主に、武藤が従になるが、
「骨の髄まで・・・」の場合、この主従関係が逆転するうえ、
「全日本はこのオレを生かせるかな?」という挑発的な意味合いを含む。
言い間違いでこんな印象深いフレーズを生み出したとしたら
正直、嫉妬をおぼえる。どれだけ「持っている漢」なんだと・・・

ところで、セミの試合は大方の予想通りにオカダ完勝
レインメーカーで半失神した清宮をオカダがカウント2で引き起こし、
変形エメフロでダメを押した後に、再びのレインメーカーでフィニッシュ。
試合後にジェイク・リーが清宮をあざ笑い、挑戦を表明したが、
ここは清宮はベルトを失って、底の底まで落ちた方がよいと思う。
恥をかけ とことん恥をかけ あれ? どこかで聞いたような・・・