47歳の誕生日でもあった9日に追悼ウオーク。早くも今年で5回目を迎えた。
今年は、水天宮から清洲橋通りに入り、浜町~浅草橋界隈から両国橋を渡って、
両国の回向院に詣でた後に横網町公園をめざす少し遠回りのルートを歩いた。
火刑都市連載の取材を兼ねたことは先述したが、追悼ウオークとしても思わぬ発見があった。
それがこの「明治観音堂」 浜町の水天宮仮宮と明治座の間にひっそりと建っている。
看板には、昭和20年3月10日の戦災(東京大空襲)の死没者の冥福を祈るために建立したとある。
発願主は新田新作
この空襲で焼失した明治座を1950(昭和25)年12月に再建し、明治座社長に就いた人物である
<明治座再建と同じ時期に観音堂も建立したようだ
俠客から一代で建設会社を興した「昭和の風雲児」として知られる一方で、
ワタシのようなプオタには「力道山や東富士のタニマチ」の方が通りがよい。
ちなみに、この1950年は力道山が大相撲9月場所前に自らマゲを切って廃業した年でもある。
新田新作はマゲを切った力道山を資材部長の肩書で雇い入れる。ということは、
力道山も明治座の建設現場で汗を流したのかな・・・双方にとって、激動の一年だったと察する。
なお、増田俊也氏の名著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」をはじめとする
近年の調査研究では「新田新作は力道山のプロレス転向に難色を示していた」説が有力となっている
2年に及ぶ耐震補強工事を終えた両国・横網町公園の東京都慰霊堂。
10日の大法要の前日だったが、堂内にはすでに高齢の参列者や読経する人々がいた。
東京大空襲と関東・東日本両震災の犠牲者に改めてお悔やみを述べる。
なお、園内の復興記念館は来月3日まで「日本画家・高増径草が描いた震災絵巻」を展示中。
調べたところ、ろうあ学校に勤めながら、原爆投下直後の広島のスケッチも残した気骨の画家。
興味がある方はぜひ足を運んでほしい。
- なでしこ
9日の北朝鮮戦はウノゼロ勝ち。2勝1分け2敗の勝ち点7・予選3位で終了。
振り返ると、中国戦の黒星が本当に痛かった・・・<勝っていたら2位でリオ五輪出場
- ホークス
渦中の読売相手のオープン戦3連戦は2勝1分けという結果に。
オープン戦無敗はなお続く。この3連戦では今宮&ギータに一発が出た。
ところで、ホークスと言えば、「ドカベン」ドリーム・トーナメント編の最新話。
ついに「あぶさん」景浦安武が近いうちに登場するかも。