ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

リングサイドで恋をして・第18話/九州時代

2012年11月28日 | RSで恋をして

九州に住んでいたのは、03年9月から10年3月までの6年半に及ぶ。

福岡県豊前市、熊本県人吉市、福岡県志免町の3市町を渡り、

3号も4号も小学生になった。

東→南→北と遊び歩き、九州の食・温泉・スポーツを満喫した楽しい6年半だった。

この時期のプロレスの主な観戦会場と言えば、「西の聖地」博多スターレーンが筆頭。

「ここはホントはボーリング場なの? 一度もボーリングをしたことがないよ」

4号がそう言って呆れるほどに、いろんな団体を観戦した。

ただ、4号の初めてのプロレス生観戦は博多スターレーンではなく、

04年7月23日のドラゴンゲート久留米大会と記憶している。

この7・8月のシリーズは、闘龍門JAPANがドラゴンゲートに改称した後の

最初のシリーズで、大会パンフの表紙には当時の所属選手全員の似顔絵が並んでいる。

悪冠一色(注1)やSUWA(注2)の似顔絵も載っており、現在では貴重品になった。

当時の4号はまだ1歳半だったが、この頃から一貫してドラゴン・キッドが大好きである。

どのぐらい好きかと言えば、後年のドラゲーの大会でパンフを買った時に

「大変だ! ドラゴン・キッドの背が伸びた!」と騒いだことがあった。

聞けば、そのパンフでの身長の表記は「162センチ」だったが、

以前に買ったパンフでの表記は「161センチ」だったという。

「オマエ・・・それは普通、背が伸びたとは言わんぞ」と大笑いしながらも、

帰宅後に調べたら、4号の記憶通り。「こんな細かいところまで覚えているのか」と

驚くと同時に、間違いなくワタシと2号のDNAを受け継いでいると確信した。

この大会パンフというヤツは、プロレスラーが派手なコスチュームをまとい、

時にはカッコよく、時にはコミカルにカラー印刷されているので、

4号には格好の落書き帳にもなった。最近になって、それらのパンフを見返したところ、

参戦当初のKAGETORA(注3)を矢印付きで「ジミ」とからかっていた

現在のリングネームと所属ユニットを考えると、恐るべき慧眼と言える<親馬鹿

そんな4号のプロレス熱は今なお増すばかり。PAC(注4)のWWEデビューと

「キン肉マン」の最新41巻の発売を、愚父といっしょに心待ちにしている。

(19話に続く)


*注1・「アーガンイーソー」と読む。闘龍門JAPAN時代に結成されたヒール・ユニット。

現GHCジュニア王者の近藤修司(全日本)らが所属していたが、04年末に全員解雇。

*注2・闘龍門一期生。同期のCIMAやフジイとユニット「クレイジーMAX」を結成し、

みちのくや闘龍門JAPANで大暴れした。04年8月にドラゲー退団。

フリーを経てNOAHに所属後、07年5月に引退。最近は復帰のウワサがちらほら。

*注3・昨年12月に「ジミー・カゲトラ」に改名。ユニット「ジミーズ」の古株メンバーである。

*注4・一回転の横ひねりを加えたシューティング・スタープレスを主武器に、

ブレイブゲート戦V11や今年の新日本スーパーJrで4強入りを成し遂げた「鳥人」。

今年7月の神戸大会でドラゲー卒業。現在はWWEのファーム団体NXTに所属。