九州に住んでいたのは、03年9月から10年3月までの6年半に及ぶ。
福岡県豊前市、熊本県人吉市、福岡県志免町の3市町を渡り、
3号も4号も小学生になった。
東→南→北と遊び歩き、九州の食・温泉・スポーツを満喫した楽しい6年半だった。
この時期のプロレスの主な観戦会場と言えば、「西の聖地」博多スターレーンが筆頭。
「ここはホントはボーリング場なの? 一度もボーリングをしたことがないよ」
4号がそう言って呆れるほどに、いろんな団体を観戦した。
ただ、4号の初めてのプロレス生観戦は博多スターレーンではなく、
04年7月23日のドラゴンゲート久留米大会と記憶している。
この7・8月のシリーズは、闘龍門JAPANがドラゴンゲートに改称した後の
最初のシリーズで、大会パンフの表紙には当時の所属選手全員の似顔絵が並んでいる。
悪冠一色(注1)やSUWA(注2)の似顔絵も載っており、現在では貴重品になった。
当時の4号はまだ1歳半だったが、この頃から一貫してドラゴン・キッドが大好きである。
どのぐらい好きかと言えば、後年のドラゲーの大会でパンフを買った時に
「大変だ! ドラゴン・キッドの背が伸びた!」と騒いだことがあった。
聞けば、そのパンフでの身長の表記は「162センチ」だったが、
以前に買ったパンフでの表記は「161センチ」だったという。
「オマエ・・・それは普通、背が伸びたとは言わんぞ」と大笑いしながらも、
帰宅後に調べたら、4号の記憶通り。「こんな細かいところまで覚えているのか」と
驚くと同時に、間違いなくワタシと2号のDNAを受け継いでいると確信した。
この大会パンフというヤツは、プロレスラーが派手なコスチュームをまとい、
時にはカッコよく、時にはコミカルにカラー印刷されているので、
4号には格好の落書き帳にもなった。最近になって、それらのパンフを見返したところ、
参戦当初のKAGETORA(注3)を矢印付きで「ジミ」とからかっていた
現在のリングネームと所属ユニットを考えると、恐るべき慧眼と言える<親馬鹿
そんな4号のプロレス熱は今なお増すばかり。PAC(注4)のWWEデビューと
「キン肉マン」の最新41巻の発売を、愚父といっしょに心待ちにしている。
(19話に続く)
*注1・「アーガンイーソー」と読む。闘龍門JAPAN時代に結成されたヒール・ユニット。
現GHCジュニア王者の近藤修司(全日本)らが所属していたが、04年末に全員解雇。
*注2・闘龍門一期生。同期のCIMAやフジイとユニット「クレイジーMAX」を結成し、
みちのくや闘龍門JAPANで大暴れした。04年8月にドラゲー退団。
フリーを経てNOAHに所属後、07年5月に引退。最近は復帰のウワサがちらほら。
*注3・昨年12月に「ジミー・カゲトラ」に改名。ユニット「ジミーズ」の古株メンバーである。
*注4・一回転の横ひねりを加えたシューティング・スタープレスを主武器に、
ブレイブゲート戦V11や今年の新日本スーパーJrで4強入りを成し遂げた「鳥人」。
今年7月の神戸大会でドラゲー卒業。現在はWWEのファーム団体NXTに所属。