しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

お墓めぐりの続き

2013-01-21 18:00:51 | 宮古史

今朝はびっくりしました。

いつもは、記事をアップすると90人前後の訪問者。怠けていると50~60人程度。

それが昨日の訪問者はなんと260人。

いつもの訪問者以外は、18時から22時の間に「オトーリ」を検索して、2010年4月12日の「オトーリの歴史的意味」という記事にアクセスしてきたようです。

きっとどこかで「オトーリ」が話題に上り、クリック、クリックしたんでしょうなぁ。

さて久しぶりのお墓ネタ。

復習すると、宮古島在来のお墓は、ミャーカと呼ばれる巨石墓(石を積み上げて1枚岩で蓋をした風葬墓地)から沖縄本島の影響を受けた横穴式のお墓になり、やがて屋形墓に変化したのでしたね。

この墓は、巨石墓時代の墓といわれているが、築造技術としては未熟なもので、石を四角くカットし積み上げた壁によって支えるのではなく、4隅の柱石で蓋を支え、その壁は小さな石を積み上げたもののようです。

       

石蓋の下に、いかにも支えてますという風情のガジュマルが人の字型に見えていますが、これは芽を出してから上に伸びられず、横に逃げ場を求めたもののようで、面白い雰囲気になっています、

中は、空洞で柱の間を埋めていた石は今はありません。

       

ここにもガジュマルが絡み付いています。

このお墓は、宮古島統一戦で目黒盛に敗れた与那覇原一族の共同墓地といわれていますが、築造された年代は不明です。

今日は久しぶりに24℃まで気温が上がり、春の陽気でしたなぁ。寒いヤマトの皆様お体に気を付けて。