台風発生の多さと翁長知事急死で揺れている沖縄でございます。
明日は終戦記念日。本土では。
当地の終戦の日は2説あります。
沖縄では、当時駐留していた日本軍の牛島司令官が自決し、日本軍の組織的戦闘が終焉した6月23日を「慰霊の日」としており、この日が沖縄にとっての終戦だとする説。
この日は、本土の祝祭日と関係なく県の行政機関は休日となり、各地で慰霊式典が開催されます。
もう一つは日本の降伏調印に伴って、沖縄の日本軍代表が降伏文書に調印した9月7日とする説。
この調印によって沖縄が日本から分離され、米軍統治下に置かれることが決定したため、太平洋戦争は終わったが沖縄にとって新たな戦いが始まったという日。
いずれにしても、長い戦いが終わり新たな日本の誕生に期する日8月15日とは遠い世界の感があります。
8月15日の終戦勅語を聞いた沖縄県民はほとんどおらず、住民はガマとよばれる洞穴に日本軍と米軍から身を守るために避難していたといわれております。
もっとも、自宅や病院にいてもラジオを所有していないため聞けなかったとも。
こうして地上戦がなかった宮古島でも米軍の統治が始まり、まずは食料問題の解決に着手するわけですが。
ここに一つの痕跡があります。
前にも画像をあげた記憶があるのですが、米軍が設置したと思われる(記録を探しましたが見当たりません)
TAIRA SLAUGHTER-HOUSE=食肉処理場 または 畜殺場 ですね。
しばらく木工所の看板が上がっていましたが、今は廃屋となっています。
屋根の上に少し後ろに傾斜しているコンクリートの板が気になりますが。
市街地のど真ん中にあり、昔は海岸のすぐそばにあったようですが、今はリゾートホテルのすぐ前の墓地の端。海岸から200mほどのところに位置しています。
後ろが、客室数137、収容客数374名、全室オーシャンビューのホテルアトールエメラルド宮古島。
この痕跡もいずれ開発の波に洗われてなくなってしまうのでしょうが。
内部は食肉を処理していた気配はもちろんなく、木工所を思わせる跡もありません。
この建物もなくなってしまうとここに何があったかも忘れ去られてしまうのですね。
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