カウンターサービスが終了してしまいました。

何か違う企画でうき特製のお菓子をお送りします♪



またモゾモゾしてますなり~







昨日の研究会で中根先生(県立大学の先生)とご一緒したらしいの。
で、中根先生「奥さんの体調はいかがですか?」と聞かれたんだって。
そしたらさぁ、「地震関係のニュースばかり見ては落ち込んでいたんですけど、最近は趣味が『寄付』になって張り切ってますよ。ハハハ」
と答えたらしいのよ。
あら!人のことをおっちょこちょいみたいに言って失礼しちゃう。
言わせてもらいますけど、趣味は寄付だけじゃなくて無駄遣いも加わりましたことよ。(笑
ただ「趣味」という表現は、なかなか言い得て妙だなと思うんですよ。
だって、私は自分の快楽を何よりも優先するし、シニカルで決して善意の人ではないんだもん。
そら、私だって大事な人を亡くされた方の話を聞けば泣くし、寒い体育館で寝泊りする方達を見れば胸が詰まります。
でも、下手な同情はしたくないし、ましてや「皆で一緒に乗り越えよう」なんて言われると気持ちが萎えるんです。
だって、もし私が被災して、今日明日のご飯の心配がなくなったら、次にこの先1ヶ月1年10年先のことをきっと考えるようになるよね。
そしたら、暗澹たる気持ちになると思うんだ。
そいうときに「一緒に乗り越えよう」なんて言われたらさぁ。
「じゃ、あなたが残った家のローンと新しい家を建てるお金の都合を一緒につけてくれますか?」
「勤務先も流されました。新しい職を一緒に探してもらえますか?」

言い返したくなるよね。
私なら言いそうでしょ?ホホ。
被災に遭った方とこちら側との差はいかんともし難いんだもの、一緒に乗り越えられるわけがない。
つうか、こちら側は乗り越えるものが存在しないのに、一緒になんて言葉はちゃんちゃらおかしいでしょ。
だから、私はそんな言葉は絶対に言いたくないの。
私は趣味で寄付をするし、無駄遣いをする。
ほんとはこんなことをわざわざ言うのも嫌らしいと思うんだけど、どうにもこの「一緒に」つうのが気持ち悪くてねぇ、お尻がモゾモゾするの。

そうそう。
昨日、の大阪土産は「点天」の餃子でございました。
ふふふ、早速今晩の晩御飯にします♪
随分食べてなかったので、めっちゃ楽しみです。
新大阪で一緒にいた中根先生
「僕、奥さんに「551蓬莱の豚まん」を買わなきゃいけませんから」
言ってと別れたのに、豚まんは売ってなかったんだって。
↑めっちゃバツが悪いやんねー。(笑
売り切れてたのかなー。
でも、「点天」の方が却ってよかったかも。


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