年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市の物語12

2006年05月14日 | べったら市
不平等条約 
日本が幕末(1858年)にむすんだ日米修好通商条約などの安政の5か国条約はいわゆる不平等条約で、関税を自由に決められず、国内で外国人が起こした事件を裁くことができなかった。特に不平等条約の中の『関税率を協定とする』という項目によって関税自主権もない状況であり、輸入品に関する関税を「原則5%」という低さに抑えられていました。この不平等条約を改正し、欧米諸国と対等な立場に立つ。それが明治日本の悲願だった。多くの外務大臣が改正に挑戦し、欧米と交渉したが次々に挫折する。明治時代の政治史は不平等条約を改正に導くため歴史だった。
不平等条約の中で関税自主権と裁判権については色々な歴史書に書かれているが、日本に入港する船舶に対する検疫権も無かった。その検疫権の不備が幕末から明治にかけてコレラを日本に蔓延させた。
不平等条約と明治維新の混乱で日本の砂糖は外国(特にイギリス)にたちゆかなかった。大阪においては国産の砂糖(徳島産・阿波三盆)が明治に入っても強かったが、横浜では次第に安い輸入砂糖に切り替わった。麹だけで甘味を出していた江戸時代の浅漬大根(べったら)から安い砂糖を使った砂糖の甘味を加えた明治のべったらに切り替わった。日本橋本町・大伝馬町の砂糖を扱う薬種問屋も国産から安く白い輸入品の砂糖に切り替わったと思われる。
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