年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の食事情 日本におけるサッカリン使用の歴史

2006年05月30日 | べったら市
1886年(明治19年)日本にドイツからサッカリンの輸入が始まる。コレラの予防になるという噂が立ってラムネ(炭酸水、レモネード、王冠でふたをした物がサイダー)が爆発的に売れました。コレラにきくと云うウワサで売れたラムネの製造にすぐに多くの業者が参入して、粗製乱造に陥った。すぐに、ラムネの甘味料にサッカリンが使われたのです。
1895年(明治28年)台湾を植民地化。砂糖の自給の可能性が出る。明治政府は台湾経済の基幹産業として製糖業の育成を図る。台湾製の砂糖の売り先を確保する必要が生じ、また砂糖の需要を減少させるサッカリンを使用制限する必要を生じた。
 1901年(明治34年)人工甘味質取締規則 人工甘味料の食品への使用を人体に有害との理由で禁止した。人工甘味料とタール系人工着色料の食品への使用は禁止された。人工甘味料といっても当時はサッカリンだけだが、禁止理由は表向きには人体に有害であるというものであった。
 人工甘味質取締規則により治療上の目的に供する飲食物以外の使用禁止
1907年(明治40年) 武田薬品工業、日本で始めてサッカリンの製造に成功。
昭和16年 戦争下、砂糖不足のため、サッカリンがたくわん漬に使用許可となる
 1946年(昭和21年)戦後、砂糖不足のため、サッカリンは一般飲食物に無制限に使用許可となり、国の専売となり課税されていた。(参考1)
 1973年 
 FAO/WHOサッカリンの暫定使用基準ADIは5mg/kg/dayであるがサッカリンの不純物に起する発ガン性に疑問があるので日本では1mg/kg/dayとし、各種食品への使用基準を設定し使用許可
 1975年 (昭和50年)
 新しく国立衛試の発ガン性動物実験により FAO/WHOの定めたADI 5mg/kg/dayが追試され、それに伴ない各種食品への使用基準を緩和する。
サッカリンは、明治時代から使用されている人工甘味料で、現在も使用されています。人工甘味料のズルチンが昭和42年に、チクロ(サイクラミン酸ナトリウム)が昭和44年に使用禁止となり、サッカリンも昭和48年に発ガン性の疑いがあるということで、使用禁止となりました。しかし、アメリカでは、この発ガン性の原因は、サッカリンに混じっていた不純物が原因であったとして使用禁止を解除、日本でも国立衛生試験所の出した「少量の使用は問題なし」との試験結果により、厚生省(現厚生労働省)は一定の範囲内で使用を許可しました。サッカリンの使用禁止期間は、ごく短いものでしたが、ズルチンやチクロの影響もあり、強く印象に残っているようです。欧米ではサッカリンの使用が緩和される傾向です。
参考1)
人工甘味料専売実施要領
     昭和22年8月12日 
第一、趣旨
 人工甘味料は栄養品と異るとともに嗜好品としては一般の需要が旺盛であるから、品質の向上、不良品の排除及び配給の適正を図り併せてこれを専売として財政収入の確保を図る。
第二、要領
 一、専売の対象はサッカリン及びズルチンとする。
 二、政府の許可を受けた者でなければ人工甘昧料の製造をしてはならない。
 三、人工甘味料はすべて政府が買取る。
 四、人工甘昧料の販売は医薬用、業務用、一般用等に区分し、それぞれの用途の性質に応じて差別価格制を設ける。
 五、配給機構は現在のサッカリン及びズルチンの売捌機構(薬店)を活用するとともに配給方法は指定配給物資の統制方式による。
 六、本制度は十月一日よりこれを実施する。
 備考
 (一)本専売創設により、本年度中に於て約十八億円の益金を収める計画である。
 (二)専売実施の具体的方法及び機構等については至急に経済安定本部及び大蔵、商工両省協議の上決定する。
 (三)サッカリン及びズルチンの生産計画及配当計画は経済安定本都に於てこれを策定する。

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