年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市の物語2

2006年05月04日 | べったら市
べったら市の由来の引用が多い文献として
近世風俗史 (守貞漫稿 1837年/天保8年頃から30年間)あげられます。
10月19日夜
江戸大伝馬町腐市(くされいち)
大伝馬町一丁目にて市あり,明日,蛭子命(ひるこみこと)を祭る用の小宮及び神棚、切組三方あるいは小桶・俎板の類、または蛭子神に備ふ小掛鯛等、南北店前に筵を敷きこれを売る。また新漬大根を売る。いわゆる浅漬にて、干大根を塩糠でもって漬けたる。けだし、麹を加えたるを良しとす。夜市等にこれを売ること、ただ今一夜に限れり。
従来、大伝馬町一丁目のみなりしが、天保末(1843年頃)比より、同二丁目と本町四丁目へも少々この売物に他物店も交わり出る。二,三年の間に益々多くなり,弘化中(1844-1847)には,西は本町三丁目より、東は(通)油町橋まで出る。小間物店、手遊び店、その他種々の店出る。植木屋は伝馬町二、三丁目の横町に出ることになれり。後年は、本町一丁目より出ることなるべし。
この市をくされ市と云う。そのゆえん詳らかにせず。愚按には、夷神に備ふ掛鯛も鮮なるのみにあらず。鮮ならざるを売りよしより,この名を負いしものならん

“守貞漫稿”の記述によると少なくとも明治初め頃まではベッタラ市は「腐れ市」と呼ばれていたらしい。従って、江戸時代中頃から続いていると言うのは少しおおげさかも知れません。新漬大根は干大根を塩糠でもって漬けているので、冬大根の本来持つ甘味しかないだろう。当時はまだ砂糖は高価で甘味を加えるため麹が必要となっていた。
コメント
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