サクラの散り具合を求めて、上野公園に向かった。すでに花の盛りは過ぎて、緑と桜の混じった並木の下を、観光客が歩く。途中から清水観音堂で上野のさくらを眺める。のぼり旗があって、寛永寺創建400年と言う。寛永2年1625年となる。
国立科学博物館を過ぎて、クジラを通り過ぎて、突き当たると国立博物館となる。ちらほら見える博物館内の庭園を散策したいと思いつつ、チケット売り場で係の人に聞かれ、何も見たいものが無いと伝えたら、高齢者を証明するのものがあれば入れますと言われ、シルバ-パス利用で中に入る。目的は桜見物。ここには宴会風景の無い桜が見れる。東京国立博物館では満70歳以上の方は無料とのこと。科学博物館は65歳から。特別展は気になるが無いのでパス。本館を見つつ案内図を見て、博物館裏の庭園の入り口に向かう。日本人はほとんど居なくて異国人の人は少し。サクラの散り具合と静けさがとても上野公園内の桜見物とは思えない。途中に河村瑞賢の茶室があって、由来を見ていると福神漬の言い伝えが上野桜木に集まっているとおもう。福神漬伝説は創作であって、それぞれの伝説がいかにも真実のように伝えられている。
4種類あるうちの一つは池之端の酒悦、二つ目は了翁禅師、三つ目は科学博物館の田中芳男、三菱の岩崎の茅町の岩崎庭園も近所にある。
了翁禅師の碑が現存する寛永寺根本中堂の前庭の右にある。福神漬自体は酒悦主人が上野公園の整備によって増えてきた観光客用の持ち帰ることのできる食品を開発したことから始まる。そこで公園内の博覧会で出品されていた缶詰食品から、漬物を入れて売り出したが、価格が高すぎ売れなかった。そこで当時の広告のり―ダーだった薬老舗の宝旦主人のアドバイスからブランド作り、さらに効能の広告文をつくった。谷中の七福神巡りから福神漬となった。
ただ歴史の悪戯はそれだけではなかった。つくられた伝説がいつの間に別の伝説が生まれた。
国立科学博物館を過ぎて、クジラを通り過ぎて、突き当たると国立博物館となる。ちらほら見える博物館内の庭園を散策したいと思いつつ、チケット売り場で係の人に聞かれ、何も見たいものが無いと伝えたら、高齢者を証明するのものがあれば入れますと言われ、シルバ-パス利用で中に入る。目的は桜見物。ここには宴会風景の無い桜が見れる。東京国立博物館では満70歳以上の方は無料とのこと。科学博物館は65歳から。特別展は気になるが無いのでパス。本館を見つつ案内図を見て、博物館裏の庭園の入り口に向かう。日本人はほとんど居なくて異国人の人は少し。サクラの散り具合と静けさがとても上野公園内の桜見物とは思えない。途中に河村瑞賢の茶室があって、由来を見ていると福神漬の言い伝えが上野桜木に集まっているとおもう。福神漬伝説は創作であって、それぞれの伝説がいかにも真実のように伝えられている。
4種類あるうちの一つは池之端の酒悦、二つ目は了翁禅師、三つ目は科学博物館の田中芳男、三菱の岩崎の茅町の岩崎庭園も近所にある。
了翁禅師の碑が現存する寛永寺根本中堂の前庭の右にある。福神漬自体は酒悦主人が上野公園の整備によって増えてきた観光客用の持ち帰ることのできる食品を開発したことから始まる。そこで公園内の博覧会で出品されていた缶詰食品から、漬物を入れて売り出したが、価格が高すぎ売れなかった。そこで当時の広告のり―ダーだった薬老舗の宝旦主人のアドバイスからブランド作り、さらに効能の広告文をつくった。谷中の七福神巡りから福神漬となった。
ただ歴史の悪戯はそれだけではなかった。つくられた伝説がいつの間に別の伝説が生まれた。