年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市の物語9

2006年05月11日 | べったら市
べったら漬(浅漬大根)は10月19・20日、東京都中央区日本橋大伝馬町付近の商家で開催する恵比寿講の準備のための祭りで売られていました。恵比寿講とは、商売の神様である恵比寿様と大黒様を奉り、商売繁盛を祈念するお祭りのことです。しかし、江戸時代の文献からは腐れ市と呼ばれ、恵比寿講の祭りを飾る鯛が有名で、日本橋魚河岸の商人が張り切っていました。
 江戸における恵比寿講の起源として10月は神無月といって神様が皆、出雲に行っていて、残っているの神は足腰の立たない恵比寿様だけになるから、報恩、感謝の意味でご馳走を差し上げるという伝説となっている。
江戸時代には商家の慣習として毎年夷講と称して商業繁栄を祈り祝賀としてきわめて盛大に執り行われ、鯛や柿、栗など山海の珍味を供え、得意先や縁者を招いて酒宴を行い一年の労をねぎらった。商家にとっては、 人事異動を披露する日でもあり、年間の区切りをつけ、決算整理をしたり、新しく事業計画をたてて折り目を付ける時期だったという。
10月19日に限られ、年の市のさきがけとなり、売り物の標準はこの市の売買により定めると言う。 日本橋区史から 
江戸時代の10月は旧暦だったので恵比寿講の時期は初冬だった、恵比寿講から商家の冬支度が始まり小僧や丁稚が足袋を履けたり、炬燵を出したといわれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする