年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市の物語5

2006年05月07日 | べったら市
江戸時代の江戸で流行った恵比寿講が大根の浅漬(べったら)を売る市に変化したか?
かな変換の機能を使って「えびす」を検索すると、「恵比須、恵比寿、夷、戎、蛭子」の文字が出てきます。この「蛭子(ひるこ)」が「えびす」と読まれることに注意してください。
えびすとは、七福神の一人で、もとは、兵庫県西宮神社の神様です。西宮神社は「蛭子神系」の恵比須神社の総本社である。海に流された蛭子神が西宮神社に流れ着いたと云う伝説あります。海上物流・漁業の神、また商売繁昌の神として信仰されました。宝田恵比寿神社は由来が不明で椙森(すぎのもり)神社の由来がはっきりしている。
長沢利明著『東京の民間信仰』によると恵比寿講と市が先にあって、後に神社が作られたと思われる。守貞漫稿の江戸大伝馬町腐市(くされいち)とあって神社の名は出ていない。

日本橋区史 第一冊 18頁 大正5年
馬込氏の旧地より移せし寶田稲荷あり、大伝馬町は木綿店という。2丁目、恵比寿市催す、これは元々椙森神社の舎殿、恵比寿神ましわす縁故による、俗にこれをべったら市またはくされ市とも言う。
椙森神社所蔵文書 中央区教育委員会
椙森神社は江戸時代には稲荷神社と呼んだ。相殿は恵比寿神が祀られている。寛文年間、西宮の蛭子神をここに勧進したと伝えられる。
相殿(あいどの):主祭神に対しひとつの社殿に2神以上対等に近い形で祭られる神(相殿神)。
相殿造(あいどのつくり):相殿神を祭るため2殿以上を1つに併せて造った社殿。

余談 「事代主神(ことしろぬしのかみ)系」の恵比須神社の総本社として島根県の美保神社があるそうです
コメント
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