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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

いいね!!なんかは指の運動。いつかは消える記憶

2025年04月18日 | 宅老のグチ
7000日を超えた日数と7000回になろうとする記憶の足跡。間も無く企業の都合で消える。良い時期だろう。多くの栄枯盛衰の事例から、盛りのあるものは老いて行き、そしてユックリ記憶から消えてゆく。どこかに印象があれば書き残すことで、記憶に残る。多くの場合は親族の子孫の記憶で、今個人情報アクセスが難しくなって、子孫の内部から後世に情報発信しないと記憶から消えてゆく。
 都営の谷中墓地には都知事の名前で永代と思われていた歴史上の人物が声をあげる人が無いため
(東京都に使用料を払っていないのか)、合葬広告が気になっている。数年前に谷中墓地にあった関藤藤陰(石川和介)の墓がいつの間に都の整理にあって、合葬された。この関藤藤陰と言う人物は東京ではあまり知られていないが岡山・広島では有名人物で多分地元には墓があると思われる。
 関藤 藤陰は、江戸時代末期の儒学者。幼名は元五郎、諱は成章、字は君達。養家の石川姓を名乗っていたため、通称と合わせて石川 和助と呼ばれる。江戸幕府老中・福山藩主阿部正弘の側用人として幕政に関与する。明治維新の際には執政として藩論を新政府支持でまとめた。 ウィキペディア
 岡山・福山では有名人でペリ―来航時に黒船に偽名で乗船した記録がある。維新後に朝敵にならないように苦労した。彼の谷中に墓があった時、墓誌を読んで見ていて、消えて驚く。頼山陽の最後の弟子ともいえる人で、幕末の精神的文化を支えた人が記憶から消える。
東京都の公示で都営の墓地が整理される。消えた墓石は何処へ行ったのだろうか。墓石が地元に戻ればよかったとおもう。

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