年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 コレラの終息

2006年05月26日 | べったら市
明治時代の夏は東京の市民にとって「コレラ」の恐怖の季節となった。明治期の終わりの頃には俳句の季題にコレラが夏の歳時記となっていた。
明治16年
 ドイツ細菌学者、ロベルト・コッホがコレラ菌を発見
明治19年
 ようやくコレラ予防の原則が出来た。
(1)清潔な水を使う。上水道の整備。
(2)土地を清潔にする。ゴミを片付ける。
(3)家を清潔にし、排水設備と便所を作る。下水の整備
(4)多くの人々を集める集会をさせない。祭り・劇場の制限
 この年はコレラの死者が一番多かった
明治23年28年とコレラの流行にみまわれたがだんだんと下火に。コッホのコレラ菌発見から10年たち、検査法・予防法が知れて対策が立てられた。また、完全な検疫権を得たのは明治32(1899)年。これもコレラの流行を下火にした。
明治の終わり頃までに衛生対策がなされ、明治35年頃からコレラの予防注射が始まり今では忘れられた病気となった。
コレラによって変わったこと。上下水道の建設。水道菅が鉄製となる。検疫制度が始まり日本の主権となる。衛生という考えが広まり、コレラ対策として中核となったのは隔離と消毒であった。当時は警察が衛生維持を行っていたので、強権的措置は種々の別種の問題を引き起こしていた。
 完全な治療方法は戦後まで完成しなかった。今では初期判断を間違えなければコレラはほぼ治療できるようになった。

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