年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 明治19年②

2006年05月21日 | べったら市
明治19年10月21日 東京日日新聞より
一昨日は大伝馬町でくされ市といい、浅漬大根を商うことが江戸といった時分から恒例にて、毎年大伝馬町1・2・3丁目とも大群衆が集まるところ、今年は運悪く大雨にてかき入れの浅漬大根も売れず、市を当てにしていた植木屋も売れ残ってしまった。
 ところが、20日の恵比寿講の日は晴天で各商店の出入りの魚屋は流行病(コレラ)のため、久しく低迷していた売上げを(えびす)神が助けてくれ、(魚の)販売金額を計算していた。
 いまだに東京府下にコレラ患者がちらほら出ているので、新聞記事には恵比寿講を一ヶ月つまり旧暦の頃に延期してはどうかとあったが、魚屋はそれまで延期したら,とため息していたのだった。
 当時は多くの人が集まる行事等が行政によって規制されていた。
同日の記事
東京府下はまだコレラ流行地と呼ばれているが神事・祭礼・劇場・手踊り・その他遊戯等の興行ものを解禁のことを警視庁より内務省に伺ったところ、19日より興行が許可になった。
また同日の記事に
今日の交通事故死者数の集計のように日本全国のコレラ患者数が官報に記載されている。
明治19年10月20日官報
新規患者227人・新旧患者死者数227人
コレラが終息に向かったとはいえ、全国ではかなり患者が多かった。東京では10月19日・駒込の避病院が患者減少のため閉院になった。
 駒込病院は明治12年(1879)にコレラの避病院として設立された。現・都立駒込病院は伝染病・感染症の専門病院として知られる。
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