年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 明治19年①

2006年05月20日 | べったら市
横浜開港資料館で資料捜索の続き
郵便報知の記事より
 明治19年10月20日
くされ市
(10月19日の)早朝よりの降雨にて、恵比寿講の出店をしない商人も多く、また顧客も少ないため、午前 大きい大根は 一本二銭五厘という浅漬大根が午後には一銭八厘より一銭三~四厘位に値下がりした。

郵便報知は“くされ市”と記事に書いている。
 明治19年はべったら市にとっては変化のあった年と言える。このあたりから“くされ市”から“べったら市”と記事の題が増えてくる。
明治19年東京は死者が最大になったと言われるコレラが流行していた。
 7月9日 日本橋浜町3丁目でコレラ発生、本所緑町などから,京橋。日本橋でも発生する。日本橋魚河岸、大伝馬町の付近の患者の発生である。魚商にとって商売上、かなり影響があった。
警視庁史 明治編より

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