今、べったら漬を販売するには絶対に白くなければならない。しかし、大根を塩漬すると黄色く変色し、砂糖を使って甘味を付けると褐色化がすすむ。このため、冷蔵庫の中で、甘味(砂糖)を抑え造るかサッカリンを使うかのいずれかである。また、近頃は米麹の臭いを嫌う人が多くサッカリンを使うので砂糖なら出るベトベト感でない。そこで麹の感じを出すのに米の飯を袋に入れて昔の感じを出している。
新つけもの考 前田安彦著より
サッカリンという人工甘味料を江戸時代からあったと言われる浅漬大根に添加したのはいつのことだろうか?そもそもサッカリンの歴史はどのような歴史があるのだろうか。
明治末期の東京の様子を若月紫蘭(東京年中行事)が記述している中に、「いつの間に安くてうまい浅漬大根の店がベッタラ市の主役となっていた。」とある。日本語ではうまい=美味い=甘いは同意味である。江戸時代の浅漬大根の作り方では砂糖を使用せず麹や大根の秋から冬に向かうと増す自然な甘味で味を演出していた。
明治になって急に甘くなったのは、砂糖を添加したと思われる。ただ味の秘密ため文献には記述されていない。大伝馬町は砂糖を扱う薬種問屋の町である。旧暦から新暦の10月に祭りの時期が変更となり、一ヶ月繰り上がったため、祭り用ベッタラ大根の自然の甘味不足は否めない。明治中期までは“くされ市”として主な商材は“鯛”であったがコレラの流行で魚類が嫌われ、ベッタラ漬が主役となったのはベッタラ漬の味の革新があったのである。大伝馬町の宝田恵比寿神社のベッタラ大根に安価に手に入る砂糖を使わない方が不自然である。
日本の砂糖は明治20年代に国内産の砂糖が衰退し、和糖を取扱っていた業者の没落期であり、輸入の砂糖の飛躍期であり,洋糖の取扱い商人の勃興期であった。砂糖市場が大阪を中心としていた時代から、輸入港から新しい砂糖商人が生まれた。安価な輸入砂糖がさらに消費量を増大させた。
明治の輸入統計から見ると、砂糖の輸入量は明治元年は700万斤、10年は5400万斤、15年は8000万斤、23年には1億斤を突破している。その後は、明治30年頃から国内産の砂糖業によって、輸入砂糖は減っている。
新つけもの考 前田安彦著より
サッカリンという人工甘味料を江戸時代からあったと言われる浅漬大根に添加したのはいつのことだろうか?そもそもサッカリンの歴史はどのような歴史があるのだろうか。
明治末期の東京の様子を若月紫蘭(東京年中行事)が記述している中に、「いつの間に安くてうまい浅漬大根の店がベッタラ市の主役となっていた。」とある。日本語ではうまい=美味い=甘いは同意味である。江戸時代の浅漬大根の作り方では砂糖を使用せず麹や大根の秋から冬に向かうと増す自然な甘味で味を演出していた。
明治になって急に甘くなったのは、砂糖を添加したと思われる。ただ味の秘密ため文献には記述されていない。大伝馬町は砂糖を扱う薬種問屋の町である。旧暦から新暦の10月に祭りの時期が変更となり、一ヶ月繰り上がったため、祭り用ベッタラ大根の自然の甘味不足は否めない。明治中期までは“くされ市”として主な商材は“鯛”であったがコレラの流行で魚類が嫌われ、ベッタラ漬が主役となったのはベッタラ漬の味の革新があったのである。大伝馬町の宝田恵比寿神社のベッタラ大根に安価に手に入る砂糖を使わない方が不自然である。
日本の砂糖は明治20年代に国内産の砂糖が衰退し、和糖を取扱っていた業者の没落期であり、輸入の砂糖の飛躍期であり,洋糖の取扱い商人の勃興期であった。砂糖市場が大阪を中心としていた時代から、輸入港から新しい砂糖商人が生まれた。安価な輸入砂糖がさらに消費量を増大させた。
明治の輸入統計から見ると、砂糖の輸入量は明治元年は700万斤、10年は5400万斤、15年は8000万斤、23年には1億斤を突破している。その後は、明治30年頃から国内産の砂糖業によって、輸入砂糖は減っている。