龍のいる神社に行った後、松山市にある総合文化会館へ、古事記を舞踊にしたという変わった舞台を見に行きました。
一昨年、南予きずな博のシンボルイベントとして上演された時から気になっていたこの、なんというんだろう…舞踊公演?
ブヌン族の歌は、八部和音合唱と完全五度の音程で世界で唯一の歌唱法だそうです。
こんなポスターです。
写真は幻想的で美しいけど、能とバレエとが一緒に舞われるんだろうか? 南予での公演では、地元の中高生や、郷土芸能の後継者も出演していたはずです。てっきりアマチュアの舞台だと思っていたら、一流のプロも出演しているらしい。
客席入り口ロビーにはいくつもの花が飾られ、送り主の名が
バレエスクールとか、高等学校のあるクラスとか。
企業からのもありました。やはり、プロの公演ではなさそう。
あまけにこんなものも配られるし、
協賛企業からのプレゼントです。
客席に座ってパンフレットを読みました。
驚いたことに、初演は2015年東京で、以後毎年2〜3回は各地で上演されているそうなのです。
メイドイン愛媛って書いてあるから、てっきり南予きずな博のために作られたのかと思ってました。
表紙の文字はこれだけ
愛媛の女神と五穀豊穣の物語
舞踊交響詩 古事記
一粒萬倍 A S E E D
作.演出 松浦 靖
後で調べてみたら、松浦靖さんという方は愛媛県宇和島市の出身で、映像ディレクターとして輝かしい経歴の持ち主らしいです。
今回の緞帳は打ち寄せる波
司会のお二人が、挨拶をされました。多分、パンフレットもの挨拶文をかわりに述べたの言うのかな。主催者ではありません。もう一人は中国語でした。
と言うのも、台湾の松山市と愛媛の松山市とは友交協定を結んでおり、この公演には台湾のブヌン族がゲスト出演するそうなのです。
ブヌン族の歌は、八部和音合唱と完全五度の音程で世界で唯一の歌唱法だそうです。
???
歌には、収穫への祈り、大自然の恵みと祖先への感謝の心が込められているそうです。内容的には、本公演にピッタリ。さて、その歌はー
第一幕
プロローグ
プロローグ
ブヌン族の歌
ナレーション(要約)
遠くから一つの声が聞こえて、その声から次の声が生まれ、そこから新たな声が…その声は互いにぶつかり合う波のように大きなうねりとなり、うねりの力が頂点に達した時、天と地とが真っ二つに割れ、一つの御心「アメノミナカヌシ」が生まれた。
ここでヌブン族の合唱です。
1人がかすかに聞き取れるほどの声で歌い出します。それは細い細い糸が伸びていくように続き(どこで息つぎするんだろう?)やがてもう一つの声が重なり、さらに声が重なってー
不思議なハーモニーでした。そして次第に声は大きく太くなっていくのですがそれはオーディオの音量を上げるように少しの澱みもなく、正確にクレッシェンドしていくのです。その技量に驚きました。
まさにナレーションをそのまま再現したような歌の後、強烈な太鼓の響きと共に、最初の神、アメノミナカヌシが現れます。
能衣装の神は神々の誕生を祝う能楽を舞い、去っていきます。
次の国生みの話ではイザナギとイザナミの神は袴と小袖姿で日本舞踊を。
二人は淡路島を作り、そこに降り立って、まず体が一つ顔が四つの四国を作った。
二人は次々と国を創るが、イザナミは自分の生んだ火に焼かれて死んでしまう。死んだ妻を探して黄泉の国へ行ったイザナギは、醜い骸となったイザナミに追いかけられやっとの思いで逃げ延びる。そして海で禊をして 3貴神を生み出す。
ここまでの物語が、日本舞踊とバレエとで表現されました。
3貴神とは、アマテラスオオミカミ ツクヨミノミコト、スサノオノミコトです。
第二幕
アコーディオンで「ふるさと」の演奏と、ふるさと愛媛賛歌の朗読。八人の演者のリレー朗読でした。
う〜ん
できれば群読してほしかった。
次いで
3貴神の一人スサノオノミコトは乱暴者でアマテラスオオミカミを怒らせ、アマテラスは天岩戸に隠れてしまったので、神の国は暗黒の世界となる。それをアメノウズメのミコトの踊りで再び光を取り戻す。
アメノウズメの舞と天岩戸開きは、バレエの群舞とアメノウズメのソロダンス。これがまた素晴らしかったのです。
この狼藉によって高天原を追放されたスサノオノミコトは、食事を求めてオオゲツヒメのもとへ立ち寄る。そこで、オオゲツヒメが鼻や口、尻から取り出したもので食事を作っているのを見て怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまう。
なんと理不尽なー
怒りが込み上げてきました。
オオゲツヒメは徳島県の神様です。
スサノオは歌舞伎のくまどりをしており、歌舞伎の様式で演じられました。
殺されたオオゲツヒメの体からは、蚕、稲、栗、小豆、麦、大豆が生まれた。その種をカムムスヒノカミが採種し、去っていった。
その種はやがて愛媛にももたらされ、女神エヒメは、五穀豊穣を願い光を注ぐのだった。
五穀の種は豊かな実りとなり、神々は一堂に集い喜びの舞で祝福する。地上では感謝と祈りの祭が始まる。
と、ここで出演者が勢揃い、能、歌舞伎、日本舞踊、バレエが、太鼓小鼓鼓箏尺八などの和楽器、バイオリン、ビオラなどの洋楽器に合わせて舞う中に、バンバスグラスを捧げ持った袴姿の高校生が現れて花を生けるという、
なんというか、混沌とした舞台なのにどこか統一が取れているというか、融和が感じられるというか、
賑やかなフィナーレを迎えたのです。
終了後も飾られているので退場の際に写しました。
唯一の赤は、松山市の市花、ツバキだと思います。様式としては古典立華のようなんですが、なぜパンパスグラスなんだろう?あえて洋花を使ったのかなあ。
休憩を挟んで2時間の公演があったという間に終わりました。日本の伝統芸能を一挙公開、と言った舞台でした。もともとが日本の伝統文化を伝えるという意図があったようです。
と、ここまで書くのに10日もかかってしまいました。薄れかけた記憶をパンフレットで補いつつ、昔読んだ古事記を思い出しながらですので、不正確な部分はお許しください。
書きながら、怒りを覚えたオオゲツヒメの運命にわたしなりの解釈が浮かびました。
古事記のここまでのストーリーは、神がヒトとして地上に生きる姿を描いたのではないだろうか。
生身の人間だからこそ火に焼かれは死ぬ、死ねばやがて醜い骸となって朽ちていく、ヒトが生きるために他者を殺して食べなければならない。そうして生きては死に生きては死にして、命は受け継がれていく…
私たちは生きるために命を「いただいている」自覚を持って、感謝をしなければいけない。と、いうことではないでしょうか。
ここまで読んでくださってありがとうございました。